お笑い界 偉人・奇人・変人伝
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堀ちえみさんの映像は壮絶な病気体験だけれど、どこかほっこりしていて人柄がにじみ出ている
数々のがんや難病を克服してステージに立ち続ける姿。あの穏やかな笑顔の裏に、どれほどの闘志が隠されていることか、いつも驚かされてしまいます。 ちえみさんとは難病になられる以前、1990年代から…
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コロッケのプロ意識には鳥肌が立つほど 語っていた3つの「エンタメ哲学」
今年、芸能生活45周年を迎えられた、ものまね界のレジェンド・コロッケさん。初めてお会いしたのは20年以上も前のこと。高校時代から郷里・熊本のショーパブに出演して人気を博し、本格的にプロを目指していた…
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ミヤコ蝶々さんは存在そのものが「芸」 客席を自在に泣かせて、笑わせた
東京生まれの大阪育ちで、キレのいい東京弁と人なつっこい関西弁を自在に操り、関西にとどまらず喜劇界では「神様」のように崇められているミヤコ蝶々さん。 1991年に「上方お笑い大賞」(読売テレビ…
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坂上二郎さんがキッパリ言い切った 盟友・萩本欽一さんへのリスペクト
初めてお会いしたのは1980年代、伝説のコメディアンから俳優としての認知が高まっていた頃でした。 萩本欽一さんとの伝説のコンビ「コント55号」。70年代は大みそかに「紅白をぶっ飛ばせ!」で絶…
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亡くなった下條アトムさん「『鉄腕アトム』より僕の方が“先輩”なんですよ。そのおかげで…」
先日、お亡くなりになられた下條さん、最初の話は、やはり「アトム」という“キラキラネーム”でした。 「みなさん芸名だと思われるんですけど、本名なんですよ」「からかわれたり、いじめられたりされませ…
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声優・神谷明さんは語った「そのキャラクターになりきって演じきって命を与えないと」
初めてお会いしたのは1998年の元旦。お笑い特番のクイズコーナーで出題者として大阪に来ていただいた時でした。「声優さん」ということしか知らず、調べてみると、高校時代に夢中になって見ていた「ドカベン」…
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氷川きよしさんの好青年ぶりにトミーズ雅くんもスタジオの観覧席からも大喝采が
氷川さんと初めてお会いしたのは「箱根八里の半次郎」が大ヒットし、「演歌界のプリンス」「おばさまたちのアイドル」と呼ばれ始めた頃でした。会ってみるとテレビで見る以上の好青年でした! 楽屋に入っ…
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水野晴郎さんは打ち合わせの段階から、映画を語ることの“喜び”や“うれしさ”に満ちあふれていた
「いやぁ~映画って本当にいいもんですね~」の決めゼリフでおなじみだった、映画評論家の水野晴郎さんに初めてお会いしたのは30年近くも前のことでしょうか。「水曜ロードショー(後に金曜ロードショーに移動)」…
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デーブ・スペクターさんとは非常に仕事がしやすい テレビ番組のゲストでも全体を俯瞰しているから
デーブさんとは20年前から何回かトーク番組のゲストでお世話になりました。当時はまだ変な外国人タレントのイメージでしたが、驚くほど上品な方でした。 バラエティー番組で見る姿とは違い、日本人以上…
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急逝した桂雀々さんの思い出…「笑いの神様」に守られた“持ってる人”だった
「じゃくさん」「ぽんちゃん」と呼び合う仕事仲間で、テレビやラジオで15年ほどお世話になっていました。会うたびに「ゆっくり飯食いましょうな」「行きましょう行きましょう」と口約束をしたまま、昨年の11月に…
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かまいたち「新春!爆笑ヒットパレード」のMCに抜擢 先の読めない生番組が一番力を発揮できる場なのだ
元日恒例の「新春!爆笑ヒットパレード」(フジテレビ系)で15年続いたナインティナインに代わって総合MCに抜擢されたことは話題になりました。 番組冒頭で過去のMCとしてコント55号から始まって…
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バッテリィズ M-1グランプリ準優勝で令和ロマン以上に脚光浴びるも、伸びしろはまだまだある
「M-1グランプリ2024」で、2連覇した令和ロマン以上に今回脚光を浴びているバッテリィズ。私もM-1でテレビ審査員でしたが、1本目の「偉人の名言」には最高点の95点をつけました。 2人は大阪…
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菅井きんさん 終始照れながら話す姿の奥に潜む底知れぬ“凄み”を感じた
ドラマ「必殺シリーズ」で藤田まことさんの“ムコ殿”をいびる姑役で存在感を発揮された菅井きんさん。あの決まり文句「ムコ殿」をどういう言い方にすれば、よりイヤミに聞こえるかいろんな言い方を研究され、藤田…
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藤原喜明さんは雑談では柔和な顔でも、プロレスの話になると瞬時に鋭い視線に
「藤原組長」「生涯現役レスラー」「関節技の鬼」と呼ばれていた藤原喜明さんは、リングと同じように、スタッフ全員に直立不動で頭を小さく下げて挨拶されました。 プロレスの中でも藤原さんファンなので、…
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松村邦洋さん「デブにカレーは飲み物ですから…」で感じた「出すぎず、抑えすぎず」の妙
放送作家の高田文夫さんの笑い方のモノマネ「バウバウ」で一躍注目を集めた松村さん。お仕事させていただくといつも「気持ちがいい」「またご一緒したい」という気持ちになりました。 また学生時代からモ…
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竹脇無我さんには「絵になる人は何をやっても絵になるんだなぁ」と思った
お会いしたのは20年以上も前。8年間もの闘病生活を終えられて復帰された後でしたが、テレビで見ていた頃と変わらずダンディーで、腰が低く人当たりの優しい、本当にすてきな方でした。 本番前の打ち合…
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石田靖は常に全力投球 熱意に押された先輩が「よっしゃ!石田の気の済むまでやろ!」と
「探偵!ナイトスクープ」「開運!なんでも鑑定団」などでもおなじみの、石田靖くんは京都産業大学在学中にオーディションに合格して吉本に所属しました。今ではNSCに入学する人がほとんどですが、オーディション…
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吉田裕はホントに「芝居バカ」 アドリブから生まれた“乳首ドリル”は実は努力の賜物
吉本新喜劇の座長のひとり吉田裕くんは、友近らと同じNSC大阪23期生。当時は「漫才コース」とは別に「新喜劇コース」がありましたが、吉田くんは友人と共に「漫才コース」へ入学。卒業後、何度かの結成・解散…
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河村たかしさん国政に復帰 今も強く印象に残っていること
先の衆議院議員選挙で15年ぶりに国政に復帰された河村たかしさん。私が構成を担当していた朝のワイドショー「痛快!エブリデイ」(関西テレビ)で10年近く国会議員として出演していただいていました。 …
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西郷輝彦さんに感じた爽やかさ “いい人オーラ”あふれるから人気が続いたのだ
歌手として俳優として大活躍された「元祖御三家」のおひとり西郷輝彦さん。 お会いした当時、西郷さんは50代になられていたと思いますが、押しも押されもせぬ大スターが驚くほど物腰もやわらかく、渋み…