五木寛之 流されゆく日々
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連載11853回 昭和歌謡の抵抗線 <5>
(昨日のつづき) <昭和歌謡>といっても、いろいろある。 なんとなく歌謡曲、演歌系のメロディーが連想されそうな<昭和歌謡>だが、むしろポップス、ロック、フォーク系のほうが実際には時代の主流を占め…
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連載11852回 昭和歌謡の抵抗線 <4>
(昨日のつづき) 昨日、仕事がおそく終ったので、夕食をとっていない事に気づいた。 私は昼食抜きの日が多いため、夕食はガッツリ食べるのが習慣である。しかし、原稿を書く仕事は、なかなか予定通りには…
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連載11851回 昭和歌謡の抵抗線 <3>
(昨日のつづき) 詞が先か、曲が先か、あるいは振り付けが先か。 私にとっては、どちらでもいいと思っている。 実際にこれまで作ってきた歌は、詞が先のもの7割、曲先が3割といったところだろうか…
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連載11850回 昭和歌謡の抵抗線 <2>
(昨日のつづき) 〽おれは河原の枯れすすき という、なんとも情けない歌が、大正、昭和、平成、と歌い継がれ、令和のいまでも口ずさむ人がいるというのは、ひとえに、 〽同じお前も枯れすすき とい…
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連載11849回 昭和歌謡の抵抗線 <1>
<降る雪や明治は遠くなりにけり> 1966年(昭和41年)は、私が新人賞をもらってデビューした年である。 その年の春、国家的行事として「明治百年事業」が開始された。当時の佐藤栄作内閣の政策であ…
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連載11848回 言語の変質について <5>
(昨日のつづき) 言語には、音声と文字という2つの世界がある。 音声による伝達は、文字によるものよりもはるかに変化がはやい。 最近、テレビを見て感じるのは、出演者がいずれも猛烈なスピードで…
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連載11847回 言語の変質について <4>
(昨日のつづき) 要するに五目チャーハンだ。 正体不明の植民地標準語の上に、九州弁がかぶさる。それも純粋な筑後弁ではない。肥後熊のまじった混合方言である。 その後、上京して東京弁の世界に投…
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連載11846回 言語の変質について <3>
(昨日のつづき) 福岡のほうでは、「Yes」というときに、しばしば「ナイ」と言ったりする。 「タバコ、ありますか?」 と、売店できくと「ナイ」という返事が返ってくることが昔はあった。無いのか…
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連載11845回 言語の変質について <2>
(昨日のつづき) 当時の内地から外地へ渡ってきた日本人は、フロンティアへの野心にもえた人々もいただろうが、新天地で一旗あげようという野心家もいた。 〽せまい日本にゃ住みあきた という歌が流行…
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連載11844回 言語の変質について <1>
私は日本語のアクセントというものがよくわからない。アメ(雨)とアメ(飴)の区別がつかないのだ。 ハシ(箸)とハシ(橋)も同じようにフラットに発音する。 カキ(柿)とカキ(牡蠣)も区別しないで…
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連載11843回 無精の病は治らない <5>
(昨日のつづき) 治そうと思っても、どうしてもできない事が世の中にはある。 性格、資質、根性といったものもその一つだ。 努力をすれば人は変る、という説もあるが本当だろうか。 そもそも、…
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連載11842回 無精の病は治らない <4>
(昨日のつづき) 左下肢の不具合いは、次第に深刻さを増している。膝だけでなく、太腿や足首、ふくらはぎまでが痛む。 この数年間、ずっと杖を使って歩いてきたために、左右の脚がひどく不均衡になってき…
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連載11841回 無精の病は治らない <3>
(昨日のつづき) 私の無精は、性格ではなく病気である、と前に書いた。 性格なら治しようもあるが、こと病気となると、そう簡単に事は運ばない。 反省はする。そのときは大いに反省するのだが、問題…
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連載11840回 無精の病は治らない <2>
(昨日のつづき) <タテのものをヨコにもしない> というのが無精者の形容詞だが、そのくらいのことは私にもできる。 ヨコのものをタテにするには工夫が必要だが、タテのものをヨコにするのは簡単だ。…
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連載11839回 無精の病は治らない <1>
過日、田原総一朗さんの仕事部屋の写真を見た。本の山に埋もれて、相当な乱雑ぶりだ。 だが、これが整然と本棚に蔵書が並んでいたのでは似合わないだろう。在野のジャーナリストとしての活躍ぶりにふさわしい…
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連載11838回 私の座右の三冊 <5>
(昨日のつづき) それぞれの読者に<座右の1冊>がある。それぞれの時代に<座右の2冊>がある。それぞれの状況のなかで<座右の3冊>がある。 私にとって<座右の本>とは、そういうものだった。 …
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連載11837回 私の座右の三冊 <4>
(昨日のつづき) きょうも雨。 桜の季節には、なぜか風が吹いたり雨が降ったりする。 寒いので、いったん仕舞ったツイードのジャケットをひっぱりだして羽織る。高齢者の特徴の一つは、暑さ寒さの感…
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連載11836回 私の座右の三冊 <3>
(昨日のつづき) 中学、高校時代は乱読だった。 図書館にある本を片っぱしから読んだ。乱読というより、濫読といったほうがいいだろう。 大学生の頃は、周囲に影響されて、友人のすすめる本を持ち歩…
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連載11835回 私の座右の三冊 <2>
(昨日のつづき) <座右の書>といえば、一般には生涯を通じての愛読書だろう。 私の場合は、それがコロコロ変るのだから厄介だ。 時代が変る。年齢が変る。心境が変る。 そのつど私の座右の書は…
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連載11834回 私の座右の三冊 <1>
先日、アンケートの依頼がきた。 「あなたの座右の3冊をあげてください」 という文面だ。 あわてて仕事机の上を眺めてみたが、座右どころか前後、左右に本が山積みになっている。 そもそも、「…