今思えばゾッとする。僕は下調べせずPL学園に入学し、激しく後悔…寮生活は想像を絶した
東洋大がひとつの原点なら、もうひとつの原点は、高校である。
兵庫の宝塚シニアでプレーしていた中学時代、そこそこ名の知られた選手だった僕は、漠然と大阪の強豪・近大付属高校に進みたいと思っていた。父が同校出身で、よく練習を見に行っていた。といっても父は陸上部でやり投げの選手だったが……。その頃の近大付は1990年のセンバツで全国制覇を果たしたバリバリの全盛期。地元兵庫の名門・報徳学園という選択肢もあった。それなのに、PL学園から「ウチに来ないか?」と誘われた時、なぜか迷うことなく「はい! 行きます」と即答していた。
当時のPL学園は立浪和義さんらが活躍して春夏連覇を果たした1987年以来、甲子園から遠ざかっていた。公立校に負けることもあったほどの低迷期。宝塚シニアから進学した先輩もおらず、話も聞けない。恐ろしいことに、PL学園がどんな環境で、どんな練習をやっているのか、どんなグラウンドで、どんな寮で選手が生活しているのか、何も知らなかった。下見すらせず、即進学を決めた。今思えば考えられないことで、ぞっとする話である。聞けば学費が免除される特待生ではなく、普通のスポーツ推薦だという。