土橋正幸がエースの軟式野球「フランス座チーム」で一員に
採用の背景には「野球」もあった。井上は、小説「ナイン」を執筆しているが、自身も学生時代に熱中していたという。
「面接で野球ができるかを聞いたら、選手だったって。これもポイントが高かった。当時は浅草フランス座に野球部があり軟式野球が強くてね」
松倉さんの父は野球好きが高じて、劇場経営の傍ら軟式野球の「フランス座チーム」をつくっていた。芸人やスタッフも一緒になってやっていたそうだ。
「井上さんも芝居の台本を書きながら、野球チームに引っ張られて練習をしていましたよ。ちなみに読売新聞主催で東京23区の軟式野球の大会が後楽園で開催されたときに優勝したくらい力があった。うちでピッチャーをしていた近所の魚屋のせがれの土橋正幸は、東映フライヤーズに進んで、のちにヤクルトの監督もやったよ。野球が好きな連中から、コメディアンになった中には、長門勇や欽ちゃん(萩本欽一)もいたね」
欽ちゃんは、たまたま両親の店がつぶれて、松倉さんの父が経営していたアパートに越してきたのが芸人になる転機となった。