鈴木慶一さんはPANTAと5分で意気投合した
平野 ロフトには何度も出てくれた。ライブを一番、数多くやったバンドかも知れない。
「ロフトには(73年オープンの)西荻窪を皮切りに荻窪、下北沢、新宿のステージにも立たせてもらいましたが、悠さんに出会うと『おっ! アグネスチャンバンドが来たな!』とよくからかわれたものです。でも、悠さんはボクたちを見放したり、突き放したりはしなかった。バックバンドとしての喜怒哀楽を理解してくれ、ムーンライダーズとしてのサウンドを演奏したいというボクたちの願いをちゃんと聞き入れてくれた。改めて、お礼を言わせて下さい。本当にお世話になりました」
平野「最初のライブはお客さんがゼロだったけど、それから200人とか入るようになった。客席がギューギュー詰めで呼吸困難になったことはあっても『集客に困った』とボヤいた記憶がない。78年、わたしゃの大好きなPANTAさんのアルバムをプロデュースすることになった。
「はっぴいえんど、はちみつぱいが所属していた事務所『風都市』の上村律夫さんがPANTAと付き合いがあって『アイツは凄く良いヤツ。絶対に話が合うから』と言われ、会ってみたら5分で意気投合。それまでは怖いイメージしかなかったし、いきなり殴られたらどうしよう、なんて本気で心配してたくらい」
(この項つづく)