ロフト創業者が見たライブハウス50年
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ロックとともに50年…これからもロックを愛し続ける
コロナ禍の2020年6月から約1年半続けてきた連載も今回で最終回となった。私はこの連載を通して一体、何が言いたかったのだろうか。つらつら顧みるに忸怩たる思いばかりが頭をよぎる。日本のロックを変えた表…
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結構な不良バンドだった「BOØWY」の大ブレークは見ていない
ロフト連載の第1回は、2020年6月25日付の日刊ゲンダイ紙面。実は4月スタート予定だった。が、3月20日に「渋谷ロフトヘブン」で開催したライブの出演者と観客が体調不良を訴え、3月31に新型コロナの…
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群馬の「暴威」は手の付けられない不良だった
1984年10月に世界放浪の旅に出掛けたことは、前回の当コラムで書いた。4年間で87カ国を制覇しても帰国する気になれず、悶々としていた時に「ドミニカの海」の風景が頭の中から離れなくなった。わたしゃ「…
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国民的人気バンド・スピッツの夢とは…「新宿ロフトのステージに立つのが夢だった」
1971年に烏山ロフトをオープンさせて73年から西荻窪、荻窪、下北沢、新宿と1年ごとに新しいライブハウスを増やした。ロックの最前線で刺激的な日々に酔いしれていたが、目をかけていたバンドが、有名になる…
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パンク・ロック系バンド「ニューロティカ」のロフト298回目ライブに酔いしれた
9月20日といえば「敬老の日」。77歳のわたしゃ、馴染みの散歩コースを歩きたくなった。「茅ケ崎―江の島」。コロナの世になって初。随分と久しぶりだ。午後3時に茅ケ崎をスタート。海岸線を歩くこと3時間。…
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鈴木慶一さんは「初期衝動が必要」と力説した
「週刊プレイボーイ」に「鈴木慶一さん(ムーンライダーズ)が渋沢栄一さんとソックリすぎることについて」という特集が掲載された。 慶一さんはこう話している。「渋沢記念館の学芸員に『似てますね~』。…
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鈴木慶一さんは90年代から映画音楽を…北野武監督映「座頭市」で高評価を受けた
日本語ロックの先駆者である鈴木慶一さんは1975年に「ムーンライダーズ」を結成。ロフトに何度も出演してくれた。新宿ロフトのオープン3日目(76年10月)は「鈴木慶一&ムーンライダーズ」「南佳孝&ハー…
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鈴木慶一さんがプロデュースしたアルバム「マラッカ」の衝撃
ミュージシャンの鈴木慶一さんとは、「1971年」という共通キーワードがある。高校を卒業した翌71年に「はちみつぱい」を結成した慶一さんは、日本語ロックの先駆者となった。学生運動で複数回逮捕されたこと…
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鈴木慶一さんはPANTAと5分で意気投合した
高校を卒業した1970年、鈴木慶一さんは3学年上のシンガー・ソングライターのあがた森魚さんと出会って「アンク・サアカス」というバンドを始め、これが71年結成の「はちみつぱい」に発展。日本語ロックの先…
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鈴木慶一さんは日本語でロックをやるのに「急がなきゃ!」と思った
久方ぶりの邂逅となった。新宿ロフトでリアル取材。「ディスタンス」を取り、マスクを外したのは「撮影時のみ」。東京・大田区に生まれ育った鈴木慶一さんは、8月28日に70歳の誕生日を迎える。半世紀前の19…
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鮎川誠さんは「くよくよしているとシーナに怒られる」と言った
政治について言いたいことはたくさんある。でも、わたしゃ「安倍うつ」にかかり、政治に関心を持てなくなった時期があった。国会答弁で100回以上も嘘をつく総理大臣がいるのに支持率は下がらないとは……。学生…
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鮎川誠さんは「群れるのはロック的ではない」と言った
五輪反対派は怒るだろうが……。雨が降らないときに雨乞いをするように、東京五輪は「コロナ退散」の儀式だった。そもそも世界のトップアスリートが、せっかく日本で躍動する姿を見せてくれているのに「あえて見な…
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鮎川誠さんは「ロックは譜面に縛られないのが醍醐味」と言った
1973年結成の「センチメンタル・シティ・ロマンス」のリードボーカル中野督夫さんが7月27日に亡くなった。センチは、竹内まりやさんらのライブやレコーディングでも活躍。ロフトとの関係は73年にスタート…
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シーナ&ロケッツの初ライブでのバンド名は「鮎川誠&ザ・ミラクルメン」だった
スポーツ観戦好きのあたしゃ「一日中オリンピックを見ている」。世界のトップアスリートが時差なしのライブで見られる。もう一生ないだろう。ストレートにうれしく思っている。開会式でジョン・レノンの「イマジン…
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満員の観客に向かって数匹を…新宿ロフトには白蛇が棲息しているに違いない
新型コロナワクチンの2回目の接種を済ませて2週間が経過した。高円寺の某所で飲んでいると、通行人のオヤジが「これじゃ~感染者が減らないわけだ」と吐き捨てながら通り過ぎた。「非難される覚えはない」と声を…
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アナーキーの狼藉で新宿ロフトは紙コップになった ステージに投げつけてグチャグチャに…
東京五輪の開幕が近づいた。五輪開催には賛否両論ある。声を大にして言いたいこともヤマほどある。でも……サッカーU-24日本代表の若手選手たちの躍動する姿が見たい。メダルを獲得する姿が見てみたい。「悠さ…
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中山ラビさんに先立たれてしまった いつものキャミソール姿でライブを…
ARBからルースターズ、そして7日発売号では「ロフトのニューウエーブご三家」のトリとしてアナーキーを紹介しようと思っていたら、いきなり訃報が飛び込んできた。女性シンガー・ソングライターの中山ラビさん…
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「ニューウエーブご三家」ルースターズのライブに消防車と救急車が駆け付けた
「新宿ロフト」の1980年12月のスケジュールを見ると【18日】アナーキー【22日】ルースターズ【24日】ARBとブッキングされている。この「ロフトのニューウエーブご三家」である3バンドが、同じ月にラ…
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ARBは最高到達点・武道館公演翌日にロフトでライブを開催
18日にサンボマスターのライブを中野サンプラザで見た。栃木、千葉、東京、そして名古屋(26日)、大阪(7月24日)とライブは続く。長い自粛生活。どうしてもライブで聴きたかった。あのスリーピースバンド…
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わざわざ挨拶に…ARBのメンバーはとっても律儀だった
これまで時系列にLOFTを振り返ってきたわけではないが……。1969年を「日本オリジナルのロックの夜明け」とするのならば、10年後の1979年は「パンク・ニューウエーブが芽吹いた」と言っていいんじゃ…