鈴木慶一さんはPANTAと5分で意気投合した
高校を卒業した1970年、鈴木慶一さんは3学年上のシンガー・ソングライターのあがた森魚さんと出会って「アンク・サアカス」というバンドを始め、これが71年結成の「はちみつぱい」に発展。日本語ロックの先駆者としての活動がスタートした。あがた森魚さんの「赤色エレジー」が72年に50万枚の大ヒットとなり、慶一さんもバックの一員としてテレビ番組に出演するように。「はちみつぱい」が解散して75年に組んだ「ムーンライダーズ」は当初、人気歌手アグネス・チャンのバックバンドという<手っ取り早くカネになる>仕事を引き受けていた。
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平野 はちみつぱいもムーンライダーズも不遇の時期が続き、ロフトの事務所にマネジャーが居候しながら仕事を取っていた。メンバーたちの音楽的センスとテクニックは凄いのひと言。だからこそアグネス・チャンはないよね(笑い)。
「メンバーが離散しないためには収入が必要で前年から引き続いての仕事ですが、アグネスのライブは洋楽カバーが多くて楽しんでましたが、ロッカーとして<周囲との軋轢>は当然ありました。音楽仲間を失ったり、行きつけの飲み屋に顔を出せなくなったり……」