<65>オレはヨーロッパよりソウルのほうに「生」を感じたんだ
韓国に行くたびに、最初に中上健次さん(小説家)と歩いたソウルの路地を思い出すんだよね(1984年)。で、すっごく印象に残ったタル・トンネ(“月の村”の意味、ソウル郊外の金湖洞の別名)に、いつも行きたくなるんだ。貧しい人たちの街でさ、そこに太地喜和子がいたのよ(女優、1992年に事故のため48歳で急逝)。いや、ホントの太地喜和子じゃなくて、オレが「太地喜和子だ!」って言って撮った少女なんだけどね(笑)。
その後、2000年に行ったとき、道が舗装されて少しはきれいになっていたけど、やっぱりデコボコ道の路地でね、前と同じように雨が降るんだ。路地が坂になってるから水が流れるんだね、パーッて。状況はまったく以前のままなの。そうなると、あとは太地喜和子だけでしょ、出てこなくちゃいけないのは。そんで「少女が出てくんぞ」って言ってると、これが出てくんだよね~。雨の中、少女の太地喜和子を待ちながら撮ってると、う~ん、きたね! 桃色少女。桃色の傘とレインコートの少女。シークエンス(場面の流れ)を作るんじゃなくて、写される側にドラマがあるってオレは言ってたんだけど、それなんだね。まわりにドラマも物語もあるのよ、だからそれを撮ればいいだけなんだね。
バイタリティあふれる生活のスタイルが魅力
この頃はヨーロッパに行くことが多かったんだけど(1997年オーストリア・ウィーンのセセッション設立100周年記念の大規模な個展開催で16年ぶりに渡欧。2000年イタリア・プラートのルイジ・ペッチ現代美術センターで個展、プラート、フィレンツェ、ナポリ、ローマ、ミラノをまわり撮影)、東京とソウルの関係のが、ウィーンとの関係よりもオレに近いような感じがしたね。ウィーンは、行ったらすぐに、もうねぇ、死そのものの街っていう風に思っちゃったから、それに比べると、“ソウルは生の街だ”って思ったね。ヨーロッパ全体が、歴史があるとか洗練されてるとか、カッコいい風に言ってて、まあ、カッコいいんだけど、オレはヨーロッパよりソウルのほうに生を感じたんだ。20年ぐらい前だけど、バイタリティあふれる生活のスタイルが魅力でね、生きてるっていう強さを感じたものなあ。「センセ、センセ」「シャチョウサン、シャチョウサン」て呼ぶんだよ、ポン引きがね(笑)。
『小説ソウル』(写真集、2001年スイッチ・パブリッシングより刊行)には、ニューハーフも入れたんだよ。<ヨボヨボ>っていう店のニューハーフ。店の名前がおもしろいから覚えててね。日本の有名タレントなんかもよく行く店らしくて、ある歌手なんか「あの人、ヤ~ねっ、威張ってて!」って言われてたな。ヘンなとこでいろんなことがバレちゃうよな(笑)。
(構成=内田真由美)