居心地の悪さと謙虚さを残し 池松壮亮は上を向いて映画界を歩んでいる
そんな原体験が、その後のスタンスを決定づけているのだろう。池松は「責任を伴わないお利口さんな言葉を発していても、次世代に問題が蓄積していくだけ」(INFASパブリケーションズ「WWD」24年9月5日)と考え、日本映画の現状を憂慮する言葉をたびたび口にしている。
「いい映画を作って届けるための合理性ではなく、いかにお金や時間をかけずに撮って多くの人に見せるかの合理性が重視されています。とても厳しい条件で、(キャストもスタッフも)いいパフォーマンスをするために時間と労力をかけられない状況にあります」(ムービーウォーカー「MOVIE WALKER PRESS」24年9月29日)と。
加えて、絶対的な映画監督がいて、その下に作品や俳優・スタッフがいるような「手放しの作家主義の時代は終わった」のではないかとも語っている(ほぼ日「ほぼ日刊イトイ新聞」19年10月2日)。彼が理想とするのは「作品ファースト、その下に映画監督で、その下に俳優」(同前)という構図。
かつて下を向いて歌っていた池松壮亮は、そのどこか居心地の悪さと謙虚さはそのままに、「自分たちの手によって向かう方向は決まると信じて、より良い方向を目指して未来に託したい」(文化学園文化出版局「装苑ONLINE」23年1月10日)と上を向いている。