名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」
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最後に阿部二軍監督に伝えたい 選手に持たせる3つの精神
37年間にわたり、広島と巨人で主に打撃コーチなどを務めてきた。私と入れ替わりで指導者1年目として奮闘する巨人の阿部慎之助二軍監督には「継続は力なり」を意識して欲しい。誰もが早く成功したい。しかし、野…
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長所を伸ばし短所を覆う…松井秀喜は「育てる」選手だった
指導者としての指針でもあった選手を「つくる」「育てる」「生かす」。これは具体的にどういうことなのか。 まず「つくる」とは、主に高卒選手などで、何を武器にしたらいいか、まだ分からない選手を指す…
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広島はなぜ選手が育つ?巨人と相反する球団方針に答えアリ
私の指導者人生で基礎となったのは、ドラフトで指名した生え抜きの選手を育てていくカープでの経験だった。 対照的に資金が豊富な巨人は、FAなどの補強を重視してきた。逆指名制度があった1990年代…
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誠也は好調のシーズン中に…生き残りたければ「変化」しろ
継続、反復が大事だと前に書いた。しかし、何年も続けて結果が出なければ、変えなきゃいけない。プロの選手には、ここまでこれでやってきた、という信念のようなものがある。白紙に戻すのは勇気がいることではある…
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コーチが実績のない若手選手に絶対に言ってはいけない一言
プロ野球の支配下登録選手は1球団70人までと決まっている。球団は毎年、数人を戦力外にして、数人をドラフト会議で補充する。70人の中でやりくりしながら、チームは成り立っている。 それまで在籍し…
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いつミスを叱るか…米マイナー視察で“冷却期間”効果を実感
広島の二軍打撃コーチだった頃、オフに球団からこんな話が舞い込んだ。 「臨時全米スカウトとして米国を回って、いい選手を見つけてきてくれ」 指導者になってから、いつか米国の野球を見て勉強し…
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弱点の原因を見つけ修正…坂本と誠也に共通していた反復力
人を育てるのは時間がかかるものだ。 例えば打つ時に体が前に突っ込んでしまう選手がいる。これを「突っ込むな」と言うだけなら指導とは言わない。 まずは体が前に出てしまう原因を見つけだす。…
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「怪童」中西太さんに選手に寄り添うコーチングを学んだ
指導者になった時、自分のことを選手として育ててくれた中西太さんをお手本にした。 私がヤクルトアトムズの選手2年目を迎えた1971年、義父でもある三原脩監督と一緒にヤクルトにやってきた。選手時…
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スキューバの重りを使用 打撃コーチはアイデアマンであれ
■突然の引退勧告 「代打が中心になるかもしれないが、期待しているから、頑張ってくれ」 日本ハムから広島にトレードが決まった1977年、当時の古葉竹識監督から自宅に電話をもらい、意気に感じた。 …
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名将・三原監督に「今日は全打席バントだ」と指示された
私がヤクルト2年目を迎えた1971年から指揮を執った「名将」三原脩監督(享年72)は「超二流選手になりなさい」と私に言った。要するにこういうことだ。 「『超一流』は王(貞治)、長嶋(茂雄)だ。…
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私が二流、「小さな大打者」若松が一流になった分かれ道
自分で言うのもなんだが、私は静岡では名の知れた中学生だった。軟式球を80メートル以上飛ばし、校舎のガラスをよく割っていた。左打者の私が打席に入ると、相手チームは「王シフト」のように右方向に守備位置を…
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指導者として最大の後悔 広島岩本は名球会級の才能だった
私が「名伯楽」などと言ってもらえるのも、携わった選手がうまく育ってくれたおかげ。しかし、全員が思い描いたような結果が残せたわけでは、もちろんない。 名球会に入るような超一流選手にも劣らない才…
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衣笠さんの記録が途切れないように天気予報チェックが日課
私が二軍打撃コーチに就任した1983年春のキャンプ。二軍の夜間練習を指導する新米コーチの私に「ウチ、頑張ってるか?」と1学年上の山本浩二さんと衣笠祥雄さん(キヌさん=享年71)が、激励がてら練習場に…
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山本浩二さんと長嶋さんのホットラインで実現した巨人移籍
広島を計10年率いた山本浩二監督(73)は、人に任せたことは決して横から口をはさまない人だった。打撃コーチの私には「あいつはどうなんだ? 俺はこう思うけど」と言うことはあっても、コーチから選手に発信…
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4度の本塁打王に3度の打点王 山本浩二が遅咲きだった秘密
出会いは1968年。大学選手権の決勝で私が3年だった駒大が法大と対戦した。 あの頃の法大は強かった。山本浩二(73)、田淵幸一、富田勝(享年68)の「法政三羽ガラス」にボコボコに打たれて3―…
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原監督に「今度こそ思ってる野球がやりたい」と呼び戻され
現役を引退し、解説者だった現在の原辰徳監督は、1998年オフに一軍野手総合コーチに就任した。私も同じタイミングで二軍から一軍打撃コーチに。原コーチは打撃、守備、投手、メンタルなど、多方面にアンテナを…
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長嶋監督は松井の背もたれを蹴り「巨人の4番道」を説いた
長嶋茂雄監督による「4番1000日計画」の英才教育を受けた松井秀喜は、試合中のベンチでは常にホームベース寄りの最前列に座っていた。長嶋監督の真ん前である。 松井が4番に座ってからも、チャンス…
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長嶋さん 腰をグッグッグッ、インパクトはパンパンパーン
私が広島の一軍打撃コーチになったばかりの1984年。当時、巨人のユニホームを脱ぎ、浪人時代だった長嶋茂雄さんが、一日コーチとしてカープの日南キャンプへやってきた。広島の古葉竹識監督との関係で実現した…
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信念を持った名バイプレーヤー 仁志敏久と矢野謙次の武器
仁志敏久は自分の野球観を持っていた。私が打撃コーチだった1995年に日本生命からドラフト2位で入団。常総学院、早大で主将を務めたエリートだ。常総学院で木内幸男監督に野球を教わっている。私が知る中で有…
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楽天家の元木と神経質の清水 プロで成功する真逆の性格
現巨人ヘッドコーチの元木大介は現役時代、読みが外れると、ど真ん中を見逃して悠々とベンチに戻ってきた。しかし、ただのチャランポランな男ではない。 「クセ者」といわれる理由があった。三塁走者の際に…