私が二流、「小さな大打者」若松が一流になった分かれ道
自分で言うのもなんだが、私は静岡では名の知れた中学生だった。軟式球を80メートル以上飛ばし、校舎のガラスをよく割っていた。左打者の私が打席に入ると、相手チームは「王シフト」のように右方向に守備位置を変えるため、レフトの位置に誰もいなくなった。
甲子園出場こそないものの、…
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