芸能界と格闘技界 その深淵
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「裏も取ったんだよ、今井が『川又のイベントに出たらPRIDEに上がれない』とミルコに言ったのは」
これまでも述べてきたように、PRIDEを運営するDSE社長の榊原信行と「イノキボンバイエ」の主催者であるケイコンフィデンス社長の川又誠矢は、一応の表向きは協力関係にあった。 川又が大手広告代…
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藤田和之は対戦相手について「強いやつを選んでほしい。プロの試合をするだけ」と答えた
「イノキボンバイエ」の記者会見で「ミルコ・クロコップ対高山善廣」を発表すると、前売り券の売れ行きは一気に伸びた。PRIDEのリングでアントニオ・ノゲイラに敗れたことで、ミルコの商品価値の下落に気を揉ん…
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「石井館長はいろんな情報をマスコミに流して、攪乱させるようなことをしていた」
11月21日、都内のホテルで「イノキボンバイエ」の記者会見が開かれ「ミルコ・クロコップ対高山善廣」が発表された。 「派手に、目立つところに出るのが高山です。相手が超有名なプロレスラーハンター、…
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フランソワ・ボタの強さを体感した曙「オレなんか三段目といっしょ」
「スポーツ報知」(2003年11月14日付)は「猪木だよ!!全員集合」なる大きな見出しとともに、アントニオ猪木と新日本プロレス社長(当時)の藤波辰爾、そして新日本プロレス現場監督(当時)の蝶野正洋ら所…
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ボブ・サップ戦が決まり「曙改造計画」のためにチーム・ヨコヅナを結成
「K-1参戦」「大晦日にボブ・サップと対戦」を発表した元横綱の曙太郎だったが、喫緊の課題はリングに上がる体に仕上げることである。2001年に大相撲を引退してからは、後進の指導を行いながら、時折スポーツ…
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石井和義の芸能人脈を駆使 ナゴヤドームを某アーティスト名で春から仮押さえしていた
元横綱の曙太郎を口説き落とし「K-1参戦」「大晦日にボブ・サップと対戦」を発表したことで、K-1は一躍、大晦日格闘技の主役に躍り出た。 「反響の大きさに驚きました。タイソンのとき以上でした。曙…
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フジのプロデューサーに「今井ちゃんをもっと大事にして下さい」と言われて思ったこと
これより少し前、川又誠矢のもとにフジテレビの格闘技担当プロデューサーの清原邦夫から「お話があるんです」と電話があったという。会ってみると清原はこう言った。 「川又さん、今井ちゃんをもっと大事に…
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小川直也の選択肢はなし「勝っても負けても華がない。本命は最初から高山善廣」
「猪木祭」(日本テレビ系)、「K-1Dynamite!!」(TBS系)、「PRIDE」(フジテレビ系)と前代未聞の3局分裂中継が決定的となった大晦日の格闘技興行だが、PRIDEの参戦が決まった2日後の…
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「ミルコの陣営が“もう勝った”みたいな顔をしていた。絶対、負けると確信した」
2003年11月9日、東京ドームで行われた「アントニオ・ノゲイラ対ミルコ・クロコップ」のPRIDEヘビー級暫定王座決定戦は期待にたがわぬ死闘となった。 1R、開始早々にノゲイラが引き込んで得…
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フジテレビの実況席で三宅正治アナが「ノゲイラのアリ地獄!」と絶叫
PRIDEヘビー級暫定王座決定戦「アントニオ・ノゲイラ対ミルコ・クロコップ」はPRIDE史上に残る壮絶な死闘となった。 1R、小刻みにジャブを繰り出し距離を測るノゲイラに対し、ゆったりと構え…
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アントニオ・ノゲイラは言った「ミルコはまだPRIDEでイージーな試合しかしていない」
2003年11月9日、PRIDE東京ドーム大会「PRIDE GRANDPRIX2003決勝戦」、この日のリングサイドには、日本テレビ「猪木祭」の主催者であり、ミルコ・クロコップのマネジメントに携わる…
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マイクを握った高田延彦「情報が錯綜していますが大晦日、PRIDEもやることになりました」
2003年11月9日、PRIDE東京ドーム大会「PRIDE GRANDPRIX2003決勝戦」入場者数はPRIDE史上最多となる6万7451人(札止め=主催者発表)。水道橋駅前は人の波で身動きが取れ…
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一つはタイソン、もう一つが曙 「今年は逆転ホームランを2本打った」と谷川貞治は例えた
元横綱、曙の大晦日のK-1参戦は、大いにメディアを賑わせた。 《大相撲の元横綱・曙太郎(34)が6日、プロ格闘家への転身を表明し、12月31日に行われるK-1とTBS共催の総合格闘技イベント「…
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事を起こすにはこの日しか…「曙vsボブ・サップ」実現のため谷川貞治が曙に指示した内容とは
大相撲の世界には「出羽海一門」「二所ノ関一門」「時津風一門」「高砂一門」「伊勢ケ浜一門」と5つの一門がある。 一門とは5つしかなかった相撲部屋から力士が独立して、枝分かれしていく過程において…
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谷川貞治は曙夫人に熱っぽく「奥さん、もう一度ご主人を表舞台に立たせましょう」
2003年10月末。K-1プロデューサーの谷川貞治は都内のホテルのスイートルームを押さえた。曙を招き入れて最終会談を行うためである。部屋付きの親方が場所前に、その土地を離れて一度帰京するのはよほどの…
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曙の師匠・高見山大五郎には幻のプロレス転向計画が…相撲協会が引き止めた
話は1975年にさかのぼる。 「日刊スポーツ」(1975年5月1日付)は1面トップで、人気力士だった高見山のプロレス転向を大々的に報じている。 《ハワイ出身の人気力士、高見山大五郎(三〇…
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「大晦日のTBS21時からの特番枠、全国民が見ます」こう言って曙を口説いた
2003年10月下旬のある夜、博多駅前の高級料理店で、曙太郎、石井和義、谷川貞治の極秘会談が行われていた。 石井和義が次から次へと繰り出す口説きの速射砲に、警戒感を見せていた曙も身を乗り出す…
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石井和義の交渉術「大相撲の横綱として一時代を築いた曙関が格闘技でも横綱になる日が来ました」
元横綱の曙太郎との接触に成功した谷川貞治は「今夜、博多の駅前のお店を予約しています。お店の場所と連絡先も入れておきます。少しでも興味があれば話を聞きに来て下さい」とだけ告げて立ち去った。 「曙…
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曙に直談判「大晦日、K-1に出てほしいんです。ボブ・サップと戦ってほしいんです」
「夜討ち朝駆け」の言葉通り、K-1プロデューサーの谷川貞治は、早朝、元横綱の曙太郎に直談判するために、東関部屋の稽古場までタクシーを走らせた。携帯電話を鳴らして呼び出すことに成功した。 「親方、…
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稽古場にいる曙に電話した谷川貞治は「折り入って親方にお話が…」と切り出した
元横綱の曙太郎に会うために、谷川貞治は福岡に飛んだ。直接会って大晦日のK-1出場を直訴するためである。 直談判する時間を早朝6時と決めたのは「夜討ち朝駆け」こそ記者の常套手段だからだ。谷川自…