なすび 「電波少年」の懸賞生活でブレークして人間不信に
―1999年3月―
「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに、全裸でひたすら懸賞ハガキを書き続ける姿を放送した日本テレビ「進ぬ!電波少年」の企画「電波少年的懸賞生活」。挑戦させられたタレントのなすびはその独特の風貌もあり、一躍人気者になった。しかし、企画終了後、番組によって植え付けられた強烈なイメージと自らの目指す方向性とのギャップに悩んだ。
1998年1月、若手芸人を集めて行われたくじ引きで、当たりを引いたなすび(当時22)は目的も知らされないまま、アイマスク、ヘッドホン着用でワンルームのアパートに移動、衣服をすべて脱ぐよう指示された。そして懸賞雑誌とハガキが渡され、当選金額が100万円相当に達するまで、懸賞だけで生活することになった。
立案、演出は大陸横断ヒッチハイクシリーズなども手掛けた土屋敏男プロデューサー。この企画では外部との接触を徹底的に遮断し、なすびは状況が分からないまま、全裸でひたすら懸賞ハガキを書き続けることになった。公正を期すため、非公開の本名で懸賞に応募し、アパートの場所も秘密にされた。