北山修氏が白鴎大の新学長に就任 第一線で走り続ける理由
学生の祖父母世代も“戦争を知らない”令和時代
その背景に見えるのが盟友のミュージシャン、故・加藤和彦氏への思い。09年のお別れ会で主催の北山氏は「3週間泣いて過ごして、腹が立ってきた。バカヤローですよ」などと祭壇に呼び掛けた。
「そして『おらは生き残っただ』と歌いながら加藤の分まで生きて生きて生き残ってやりたい。天国のあいつに格好悪いと言われようとも、またどれだけダメ出しされようとも、と誓ったのです。あれからはや12年が経ちますが、今も北山さんの隣には加藤さんがいるのだと思います」と加藤氏。
主治医ではなかったにしても、うつで苦しんでいた盟友の死を食い止められなかった無念さ。
「実はフォークルはアマチュアのままでの解散を決めていました。その記念の自主制作版に収録した『帰って来たヨッパライ』が大ヒットしたことで、プロデビューの話が舞い込みます。このとき『1年だけやってみよう』と言ったのが北山さんで、それで音楽の道に突き進むことになった加藤さんを結果的に追い込んでしまったのかも、という思いもある。音楽は趣味で始め、自分には医者という逃げ場があったのに、と。加藤さんも、料理人の道も考えていたそうですが。その加藤さんによって、北山さんは音楽の世界でとても普通では行けないようなところまで連れて行ってもらったという感謝の思い、恩返しの意味もあるのでしょう」(前出の加藤氏)
その加藤和彦氏も北山氏も当時は若者のオピニオンリーダーで、反戦や反核、平和を訴えた。
「北山さん作詞の『戦争を知らない子供たち』は大ヒットしましたけど、戦争を知る世代からは相当なバッシングを浴びています。またキナくさい世の中になってきた今、新学長としては若い世代に自分たちの大切にしていた価値観を伝えたいという使命感、伝えなきゃならないという責任感を持っているのだと思います」(前出の加藤氏)
いまの学生の親世代どころか祖父母の世代ですら“戦争を知らない”のが令和時代。北山氏が第一線で走り続ける理由がそこにある。