史実が浮かび上がらせる 開戦の通告が遅れた5つの問題点

通告なしに軍事攻撃を行ったことで結果的に日本の立場は著しく弱まった。この不始末はアメリカ側に徹底的に利用された。「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」が合言葉になり、それは現在まで続いている。コロナ禍を真珠湾攻撃に例えたアメリカ政府の関係者がいるように、80年近くも…
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