保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(34)「模範的国民」ゆえ、米軍の空爆を受けた
もうひとつ、具体例を挙げる。これは関東地方のある中小都市の話である。戦争末期になると、日本国内のどこかはアメリカ軍のB29による爆撃を受けることになった。制海権、制空権とも全てがアメリカ軍に移ってい…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(33)負傷兵を自殺に追い込んだ「隣組」の恐怖
近代史を調べていてなんとも納得できないのは、昭和10年代は日本史全体の中でも異様な空間だったということだ。例えば、ということになるが、日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスを見ていて、軍部(特に陸軍)…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(32)隣組の班長は「小役人」でもあった
隣組のイメージは、硬軟両面がある。それをもう少し詳しく述べよう。 まずこの隣組は、歴史的に見るならば、国が国民を指導、管理、そして支配するという意味でもあった。国家の意思を末端まで伝えようと…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(31)大政翼賛会の末端組織としての「隣組」
戦時用語の第4弾は「隣組」である。江戸時代の「五人組」と同種の用語である。国民を相互に監視させて、時の政府の政策に協力させる用語とも言えるであろうか。 この隣組が正式に用いられるようになった…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(30)日本の兵隊は死ぬことが前提だった
日本軍の兵隊は強かった、という言い方は戦後でもよく言われるエピソードであった。本当にそうか。その点を私の取材メモ、あるいは入手した文書などで語っておこう。 今からもう30年近く前に、アメリカ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(29)電車賃も遊郭も半額という軍人優先社会
昭和10年代、日本は日中戦争から太平洋戦争へと進んでいく。いわば戦争の時代に突入したということでもあろう。少年たちは一様に軍人や兵隊になることに憧れた。これまで見てきたように軍内暴力の凄まじさや戦闘…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(28)「弾丸は後ろからも飛んでくるからね」
「兵隊さんよ ありがとう」とか「父よあなたは強かった」と、子供たちに歌わせて、いかにも皇軍の兵士は戦場の勇者のように語られながら、実際はどうだったのだろうか。兵士たちは、ありがとうとお礼を言われるよう…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(27)「兵隊さんよ、ありがとう」
戦時用語があれば、当然ながら戦時歌謡がある。簡単に言えば、戦争への参戦意識をひたすら鼓舞するのである。今回からそうした戦時歌謡(「兵隊さんよ ありがとう」)を取り上げて、庶民はどのように参戦意識を高…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(26)軍事機構は錯乱の世界に入っていった
戦争はむろん軍事機構が軸になるにせよ、軍事だけに任せておけば彼らの論理だけで戦闘行為を進める。軍人はとにかく「戦闘に勝つ」ことが第一義で、国力の限界などに気を回す軍事指導者は少ない。政治が軍事をコン…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(25)皇国の精神の発露としての「海ゆかば」
皇国という語は、昭和10年代の重要なキーワードになっていくのだが、もう少し別な角度から論じておこう。この語を象徴する歌が作曲されて、国民の間に広がっていくのだ。例を挙げれば、「海ゆかば」がそうである…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(24)天皇を神格化した東條英機の狙い
東條英機の上奏時の態度、物腰が他の上奏の者よりもきびきびしていて、いかにも軍人という意味合いもあった。これは天皇の前まで案内する侍従の証言なのだが、東條は天皇の前に出ると、軍靴をカチッと合わせて直立…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(23)東條英機は巧妙かつ狡猾だった
太平洋戦争は、〈東條英機〉という軍官僚によって担われたわけだが、その割に東條の実像は知られているわけではない。私は昭和50年の前から取材を始め、それから5年ほど存命の関係者(東條カツ夫人をはじめ同期…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(22)天皇を封じ込めた陸軍の狡猾なトリック
「皇国」の形骸化は、むろん陸軍でも行っていた。皇国というのは、まさに「神の国」という意味を持たされた。当初は陸軍の長老である荒木貞夫が文部大臣に就任することによって、この語が戦時用語となっていったわけ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(21)軍事指導者たちは天皇に事実を伝えていたのか
昭和10年代は、戦争の10年であった。同時に戦時用語の氾濫時代でもあった。従ってこの時代に用いられた用語は、平時には全く使われていない。「皇国」という語はそのもっとも代表的な単語でもあったが、この語…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(20)「皇国」を支えた天皇神権説の矛盾
普通なら青年将校が起こした事件であり、監督者の世代にあたる梅津美治郎や寺内寿一、それに東條英機らの軍官僚は恐縮して軍内の引き締めに当たらなければならなかった。しかし現実の動きは逆に進んだのである。む…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(19)二・二六事件は失敗ではなかった
軍部が「皇国」という語を国民に強要し、そして戦時用語にと変えていく事件、事象といえば、二・二六事件となるのだが、この事件は歴史上では失敗したとなっている。しかし表面上は失敗したように見えて、当時の軍…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(18)皇国と天皇機関説
皇国の柱は、天皇神権説(あるいは天皇主権説)を国家の解釈の土台に据えることであった。荒木貞夫をはじめとする軍内の皇道派は、なんとも目障りな天皇機関説を排撃しなければならないと考えた。そこで学者の蓑田…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(17)「皇国ノ興廃コノ一戦二アリ」
7つの戦時用語について論じているこのシリーズ、3番目に取り上げるのは「皇国」である。「すめらぎの国」ということになるのだが、この語が実際に使われるようになったのは、実は昭和8(1933)年ごろからで…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(16)サイパンでゲリラ戦を戦った学徒兵の怒り
サイパンでも「玉砕」に応じないで、山中に閉じこもってのゲリラ戦を戦った学徒兵出身の下級将校や兵士は少なからず存在する。それは主に数百人の兵士を率いる中隊長クラスになるのだが、私は昭和60年代に入って…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(15)すでに武器はなく、石を持って突撃した
サイパンの「玉砕」がいかに過酷であったか、そういう例はいくつも挙げられるのだが、あえて今、私たちが知っておかなければならない史実を語っておこう。 この地で日本兵は4万1000人余が戦死、住民…