保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(10)8月6日に広島に潜入した元ソ連スパイと会うことになった
前号からの続きである。憲兵隊員の話によれば、日本とソ連は中立条約を結んでおり、外交上は一定の範囲での交流があった。その条件の一つに、大使館員は大使館を中心に半径200キロないし300キロ以内を出ては…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(9)原爆投下直後の広島に潜入したソ連スパイのその後
1990年代初頭にモスクワで、KGBの退職者たちに話を聞いたときに、アメリカのマンハッタン計画を巡るスパイ合戦の凄まじさには驚かされた。まるでスパイ小説を読んでいるような場面の連続で次々と想像をかき…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(8)旧ソ連の年老いた元情報工作員が話した45年前のスパイ活動
パブでボクサーのポスターを見ていると、まだ青年の面影を持つ人物が、やはりこのポスターを眺めているのに気がついた。Dは命令どおりに「この男はチャンピオンになれるだろうか」と青年に話しかけた。青年は、「…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(7)ソ連崩壊の混乱時に私はKGBの元情報工作員に接触した
1990年代初めのことだ。ソ連の社会主義体制が崩壊し、混乱に陥った時期があった。私はその頃に何度かモスクワやハバロフスクを訪ねて、この国の実情を見たり、取材を進めた。そこで感じたことを書くのが目的で…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(6)「原子爆弾」独占への危機感が生んだ科学者たちの葛藤
マンハッタン計画に参加していたある科学者のエピソードを語っておきたい。科学者のなかには、ウラン爆弾の威力を知るほどに、これが兵器に利用されることの危険性に怯えるものも出てきた。当然なことであろう。そ…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(5)オッペンハイマーとマンハッタン計画 戦局を変えた極秘プロジェクトの全貌
アメリカは密かにマンハッタン計画を練り上げ、そして政府の方針に賛成する科学者や研究者に動員をかけていった。そのための中枢機関として、ロスアラモス研究所が設立され、そこではオッペンハイマーが責任者を務…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(4)ウラン爆弾を完成させることができなかったヒトラー
原子核が分裂することで中性子が生まれ、それがさらに爆発を続けていくきっかけになることが実験でも証明された。そこで生まれたエネルギーは、とてつもない総量になり、人類がこれまで手にしたことのない爆発力を…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(3)核の時代を拓いた科学者たちの使命と葛藤
20世紀に入っての原子物理学には、世界各国の俊才たちが、あるいは並外れた頭脳の持ち主が集まっていた。いわば最先端の学問だったのである。ヨーロッパ諸国の科学者は、国境を超えて研究の成果を競い合う関係に…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(2)人類滅亡を避けるため「核なき平和」の追求を
もう少し「89秒」について、説明を続けていこう。今年(2025年)の1月、アメリカの科学雑誌は、人類が核兵器によって自滅するまでの時間を89秒と試算して発表した。これは1945年に第2次世界大戦が終…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(1)「昭和100年」という節目に原爆を巡るドラマをひもとく
この歴史シリーズでは、日本近現代史の史実を細かく見ていくことで、私たちの先達はどのように生きたのか、それを探るのを目的としていた。私自身、この50年ほどの間に、昭和史を実証的に検証すべく多くの人々に…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(59)画兵が明らかにする米軍と交戦しなかった日本兵たちの戦後
画兵は戦場の貴重な目撃者である。彼らは確かに兵士ではあるが、上官からいつこの場面を後で絵にしておけと命じられるかわからない。従って、常に戦場の光景を丹念に観察していた。画兵の役割を与えられた兵士は、…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(58)画兵が描いたインパール作戦の現実と司令官への怒り
画兵の話をもうしばらく続けるが、悲惨な戦場の実態を筆の力で表現するのは、心理的に簡単なことではない。前回紹介したインパール作戦の現実を、日本に戻ってきてから克明に絵にしていった京都の元兵士、それを自…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(57)絵の上手な兵士「画兵」が記録した「白骨街道」の衝撃
小型マイクロホンをフルに使っての戦場での差は、天と地ほどの開きがあったと言っていいだろう。アメリカ軍の兵士の一団にはカメラマンも付き添いの役目を持ち、兵士を通しての戦場写真を撮影している。記録を残す…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(56)日本兵を打ち負かした米軍の情報収集力と心理戦
戦史では語られない史実、そういう話を続けていくことにしたい。 太平洋戦争下では、日本の兵士はアメリカ軍の機械化、あるいは最新の機器を使った戦場での戦いに、驚かされたというケースは意外に多い。…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(55)兵站将校と軍医の証言で明らかになる慰安所運営の実態
従軍慰安所について、前述の主要3人組(部隊長、兵站将校、軍医)の証言が揃って聞けるというケースは、これまで皆無だった。大体が兵站将校の元で手伝いを担当した兵士が、垣間見たその内側の様子を語るケースが…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(54)戦争と性、慰安所が果たした意外な役割とは
慰安所と兵士の関係についてもう少し記述を進めていこう。慰安所といえば、兵士が性的エネルギーを発散する場としての意味があり、戦争ではどの時代も、あるいはどの国においても頭を抱える問題である。ヨーロッパ…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(53)中国や東南アジアの国が握る「従軍慰安婦」の生のデータ
従軍慰安婦問題などで、日本側の多くの資料、文書を押収したはずの中国をはじめとする東南アジアの国々が、例えば日本と韓国の間で論争が起こっている時になぜ沈黙を守るのであろうか。前回は軍医の感想を紹介した…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(52)元軍医の証言、焼却しきれなかった慰安所の資料はどこへ
日本軍による強制連行は、総員でどの程度になったのか、正確な数字はわからない。統計は取っていないからだ。そのことは何を意味するか。正確な数を出すこと自体が戦時下の違法行為を認めることになるのだから、日…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(51)「うさぎの追い込み作戦」と呼ばれた中国人青年強制連行
日本軍兵士のエピソードをいくつか語り続けよう。私の取材で確認した話を中心にしていくが、兵士として従軍した世代は着実に減っている。かつては自分の存命中には公表しないで欲しいという前提で多くの話も聞かさ…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(50)武装解除を拒否し、アジアの独立運動に参加した日本兵たち
中国軍の捕虜になった日本軍の兵士たちの姿をいくつか紹介してきた。これとは別に昭和20(1945)年8月15日を境に、東南アジアの国々に駐屯していた日本軍は次々に連合国側に武装解除することとなった。こ…