保阪正康 日本史縦横無尽
-
旋風二十年(4)ハルノートの真実は
日本が対米英蘭戦争に踏み切った最終的な理由は、昭和16(1941)年11月26日にアメリカの国務長官C・ハルから駐米大使の野村吉三郎に手交されたハルノートが原因だとされる。この通牒に触れた日本の軍事…
-
旋風二十年(3)徹底的に批判された軍事指導者と協力者たち
さてそれではベストセラー「旋風二十年(解禁昭和裏面史)」では、日米開戦の経緯についてはどのように書かれているのであろうか。その点も確かめてみたい。 まず軍閥に対して容赦ない批判を浴びせている…
-
「旋風二十年」(2)東京裁判の主任検事キーナンも参考にした
東京裁判の主任検事のJ・キーナンが、その職を命じられて日本にやって来たのは昭和20(1945)年の12月であった。キーナンはマッカーサーに命じられて来日したのである。しかし現実にはどのような起訴状を…
-
「旋風二十年」(1)新聞記者の悔しさがにじみ出たベストセラー
店頭に並ぶやたちまちのうちに、売り切れとなってしまう。今からでは想像もできないほどの売れ行きであった。そして昭和22(1947)年、23年のベストセラートップから動かない。それが「旋風二十年(解禁昭…
-
戦後に噴出した知への渇望
戦後社会の特徴は、これまで見てきたように、エロを中心としたカストリ雑誌の隆盛という側面と、その一方で、極めて真面目な知的関心に応える書もまた売れたのである。昭和21(1946)年のベストセラーのラン…
-
「肉体文学」「ストリップ」、性にまつわる大衆芸能が広がる
カストリ雑誌は大体が昭和20年代の中ごろから後半には、ブームも去ってしまうのだが、戦後間もなくのころは「性」にまつわる文学作品や社会的な動きが表面化している。肉体文学とかストリップなどがそうなのだが…
-
とにかく支配階級をからかい嘲笑した暴露雑誌
カストリ雑誌という範疇に組み込まれるのだが、エロ・グロよりも昭和期のファシズム体制下に伏せられていた史実を暴露する雑誌もあった。主に左派系のジャーナリストなどによって編集されていたのであろうが、こう…
-
『アベック』『ラブリー』…カストリ雑誌は戦後に横文字化していった
カストリ雑誌はそのタイトルもまたユニークであった。収集家の元にある実物を見た時に、私はその幅広さに驚いた。「猟奇」は、警視庁の摘発第1号(昭和22年1月9日)として有名であった。わいせつ物頒布罪とい…
-
カストリ雑誌は性に関して何でもありだった
日本の歴史上、性に関してほとんど制限なしに自由に扱えるようになったのは、この占領期からであった。それゆえに、というべきであろうか、カストリ雑誌の性的表現やそのストーリーは極端な内容に満ちていた。そう…
-
戦後2、3年はエロ・グロが売りのカストリ雑誌が流行した
戦後の「言論の自由」や「出版の自由」という新しい時代の到来には、まず3つの特徴を挙げることができる。第1が、暴露モノ。戦前、戦時下は真相や真実が報じられることは許されなかった。そこで庶民は、「本当は…
-
日露戦争後と太平洋戦争後の相違点
日露戦争後の社会事件、事象と太平洋戦争後の社会的混乱との間に共通することと相反することの両面が見られる。初めにそのことを語っておきたい。 まず共通点というのは、すでに幾つかの事件、事象を紹介…
-
日露戦争後、社会現象になった「千里眼事件」の特異性
日露戦争後の奇妙な社会現象に「千里眼事件」を挙げてもいいであろう。この事件は、科学万能主義に対する反発、そして戦後の精神的空白の間に非科学的発想が持ち込まれた特異な社会現象である。まず、事の経緯を紹…
-
金儲けのために女性や子どもの生き肝を取った男
日露戦争後の犯罪で、明らかに戦争の影響を受けている事件をもうひとつ挙げておこう。平時なら起こりそうもない事件と言えようか。人体を傷つけることをなんとも思わないケースである。やはり戦争の終わった年(明…
-
「寧斎殺し事件」の野口男三郎
この事件は、今も年譜に記録されているのだが、「少年の臀部切り取り事件」とか「寧斎殺し事件」などさまざまな表現で語られている。野口男三郎という26歳の青年が、少年を通り魔的に襲い、殺害した上にその左右…
-
日露戦争後に“勝戦国”日本を覆った虚無感
戦争が終わった後の日本社会にはどのような変化が起きたのか。戦時のモラルは平時のモラルと全く様相を変える。それは平時から見れば、社会病理の現象と言っても良いであろう。戦場では一人でも多くの敵兵を殺せ、…
-
敗戦直後にはさまざまな権力が問い直されたのだった
戦後になって、「我こそは天皇なり」と名乗った人たちが、私の計算では19人に達したと記述した。昭和60年代の初めだが、そういう人物の何人かに取材を試みた。むろん当事者は亡くなっていたが、その家族、ある…
-
価値観が逆転した戦後社会が生んだ自称天皇たち
戦後社会は価値観の逆転した風景が、いくつも見られた。自分が天皇だ、と名乗り出た熊沢天皇については、すでに記述した。この流れになるのだが、戦後数年の間に、こうした自称天皇はどの程度存在するのか、私は全…
-
光クラブ事件(9)調べるほどに納得をした山崎晃嗣の怒りの深さ
山崎晃嗣が学業の傍らいそしんでいた光クラブは、実際には綱渡りの事業であった。出資者に高配当を出しながら、貸し付ける側にはさらに高い利息を取るなどというのは、まさに素人の事業でもあったのだ。こういう無…
-
光クラブ事件(8)三島由紀夫は山崎晃嗣と友人だったのか
光クラブ事件について、もう少し記述を進めよう。歴史上に語られている山崎晃嗣とその事業は、実際の事件、事象よりも事実はかなり異なっている。そのことをもう少し補完しておく必要がある。戦争がいかに神経質な…
-
光クラブ事件(7)山崎晃嗣は単なる高利貸しではなかった
光クラブの山崎晃嗣は、現役の東大生として高利の金貸しに挑んだのだが、社会背景もあったせいか、たちまちのうちに企業としての規模を拡大した。昭和24(1949)年1月には銀座に進出している。優秀な学生の…