保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(74)ジュネーブ条約の精神に相反する「戦陣訓」を発した東條英機の反天皇性
「戦陣訓」は、天皇の大権に抗する不穏な文書ではないか、というのが私の理解である。どういう点が、そしていかなる形の不穏さを抱えているのかを具体的に考えてみる必要がある。一陸軍大臣が兵士に向かって、戦場で…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(73)「捕虜になるな」「勝つまで戦え」は越権行為ではなかったか
「生きて虜囚の辱を受けず」は、実は陸海軍の大元帥であり、いわば統帥権の総攬者である天皇に対する背反行為であり、許されざる憲法違反ではないのか、という視点での論述はむろん私もほとんど目にしたことはない。…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(72)「生きて虜囚の辱を受けず」の罪深さ
改めて「戦陣訓」を読んでみよう。天皇の大権を侵しているのではと思いたくもなる一節とはどういうところなのか。検証してみる必要がある。 まず「本訓其の一」は、皇国となっていて、これも導入部は引用…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(71)皇国、皇道、皇軍の語が乱舞した「戦陣訓」
「戦陣訓」は、ある意味で「軍人勅諭」を意識しているし、示達者の東條には昭和の軍人勅諭の気負いがあったのかもしれない。戦陣訓の「序」は明らかに勅諭を意識しての記述である。そこには次のようにある。 …
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(70)東條英機はなぜ「戦陣訓」を示達したのか
ここで重要なことを指摘しておかなければならないのだが、明治15(1882)年1月に明治天皇の名によって発せられた「軍人勅諭」と昭和16(1941)年1月に陸軍大臣東條英機によって示達された「戦陣訓」…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(69)皇国史観の軍事指導者は軍人勅諭すら否定した
陸軍では新兵には必ず「軍人勅諭」を暗記させ、それを復唱できることが兵士の条件とされた。2700字に及ぶこの勅諭は、確かにあるリズムを持っていて、兵士たちに「皇国の神兵」としての使命感を要求している。…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(68)軍事指導者と連携した右翼言論人たち
昭和初年代の政党政治が確固としたシステムと内容を作り上げていたならば、軍事機構に付け入る隙を与えなかったであろう。ところが議会では与野党の対立がまるで児戯のようなありさまを演じたり、金解禁を巡って百…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(67)満州事変後に「皇国」はなぜ流布されていったのか
しかし実際には、日露戦争時の「皇国の興廃」という表現はそれほど使われることはなかった。明治30年代の戦争では、そこまで神がかりの戦争ではなかったのである。「皇国」という語よりも、むしろ「帝国」という…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(66)「皇国」という言葉が日本を神がかりにしていった
戦時用語という枠組みで、昭和のあの戦争時代を分析しているのだが、重要な意味を持つ語として、「皇国」を挙げておきたい。一言で言えば、皇国とは天皇が統治する国ということになるのだが、日本近代史の中では単…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(65)「昭和の大戦」「昭和の戦争」が意味するもの
戦時用語という枠内では大東亜戦争、戦後社会では太平洋戦争、この呼称を分析していくと、日本社会は呼称それ自体の中に思想や政治が持ち込まれていたことがわかってくる。しかし時代は戦後80年、昭和100年の…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(64)戦後80年、昭和100年の年に使うべき呼称とは
では新しい呼称はいかにあるべきか。この点について考えてみたい。改めて昭和の戦争総体を語る用語が必要になるのではないか。あえて私見を言えば、まだそのように語られていないにせよ、明治期の日清戦争、日露戦…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(63)「15年戦争」「アジア太平洋戦争」の呼び方のままでよいのか
太平洋戦争という語が戦後社会のオモテの言論として占領下では使われるようになり、そしてその後も一般的には用いられてきた。しかしこの意味は、太平洋戦争のみに重点があるように思えるとし、日中戦争をはじめ東…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(62)「大東亜戦争」と「太平洋戦争」という呼称にある共通点
昭和期の戦争の呼称が変化していくだろうと予測されるのだが、それが同時代史から歴史への変化という意味でもある。そして戦後社会を動かしてきたオモテの言論とウラの言論の境界を曖昧にして、新しい用語を生み出…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(60)「太平洋戦争」はいかに呼ばれてきたのか
前回紹介した(その1)のエピソードを見ても、戦争の呼称については大きく異なるケースがある。日中戦争でさえそうなのだから、太平洋戦争になるのならますます異なってくるのも当たり前と言っていいかもしれない…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(60)「大東亜戦争」「支那事変」――戦争の呼称問題を捉えなおす
それまで日本社会では、「大東亜戦争」という呼び方を用いていたが、実はこの「太平洋戦争史」はその呼び方を否定した。「太平洋戦争」という語が、この戦争の呼称になったのである。これまでの言い方になぞらえれ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(59)非軍事化と民主化の歴史観を日本は受け入れていった
GHQ(連合国軍総司令部)が命じて、日本国内の各新聞に一斉に掲載させた「太平洋戦争史」にはいくつかの特徴があった。つまりはアメリカ側から見た戦争の見方を教えていた。そこにあるのは、非軍事化と民主化の…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(58)オモテから消えた「大東亜戦争」
ここであえて付け加えておくのだが太平洋戦争に関してウラとオモテの関係が逆転したのは敗戦の年の12月8日からである。GHQ(連合国軍総司令部)の命令により、この日の各新聞は「太平洋戦争史」という連載記…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(57)告げ口社会が生んだ「国民は無色」
戦時下で、ウラの言論とオモテの言論の違いを明確にするのが特高警察の逮捕状況を記録した文書である。これによると「平和」とか「自由」、さらには「戦争反対」などの語を用いた会話を交わすと、流言飛語の罪や戦…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(56)軍事権力者の暴力、思い込み、愚かさ
戦時用語の「国民は無色である」を詳細に分析していくと、軍事の権力者は、国民は無知な存在だと思い込むことで、自分たちの優位性を確保しようとしていたに過ぎないと思っていたことがわかる。情報も知識も与えず…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(55)同盟通信・森元治郎が書いた命がけの記事
ここで敗戦前後のある新聞記者の動きを紹介しておこう。この新聞記者・森元治郎から、その思い出話を取材したのは平成に入って間もない頃で、彼が顧問を務めていた国際協力事業団の一室においてであった。80代半…