ドロップアウトから始まった ライフ&ライブ
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<最終回>30億円でアジアの若者に音楽を教える学校を
70歳までにビートルズを超える新しい音楽を作り出したいと思っているけど、もうひとつの目標はアジアから新しいヒーローを出すこと。 アジアにはいま可能性がいっぱいある。リズム感、歌唱力という点で…
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<第23回>どぶ川からちょっと顔を出している目線で生きる
この連載で「悲しい色やね」という曲が好きではないと書いたけど、あの曲の目線は大好きなんです。あの頃は、ユーミンとか中流階級目線の曲が多かったでしょ。でも「悲しい色やね」は、どぶ川に沈んで、顔を目のと…
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<第22回>震災の時、被災者が聴きたがったのは童謡
4年半前の東日本大震災の時、僕も何かしなあかんと思いました。 そこでまず行ったのが宮城県の気仙沼市で、牡蠣やホタテの養殖業を営んでおられる畠山重篤さんのところです。 畠山さんは、海を…
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<第21回>エステや化粧に時間をかける女性に魅力は感じない
70年代、レイ・チャールズらアメリカの神業とも思えるミュージシャンたちと一緒に仕事をして、最初はものすごく厚い壁に打ちのめされ、それでも何とか這い上がってきました。 だから、アメリカは、いろ…
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<第20回>有山じゅんじと作ったアルバムはロングセラー
長年の相棒のギタリスト、有山じゅんじが咽頭がん治療のため、11月まで休養することになりました。 ごく初期での発見でほぼ全快するとのこと。元気にカムバックした有山と、来年にはライブを実現させた…
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<第19回>世界とズレた日本のヒットチャート
京都は生まれた街というだけじゃなくて、大阪と同様、育ててもらった街でもあるんだよね。音楽的に育ててもらったという意味で。 僕がサウス・トゥ・サウスをスタートした74年ごろは、関西だけブルース…
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<第18回>アフリカの音楽に一歩ずつ近づきたい
インドネシアの次はアフリカのセネガルに行きました。 アメリカのリズム&ブルースのルーツはアフリカにあると知っていたから、前から行きたいと思っていたところ、ちょうどNHKの番組の企画があって。…
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<第17回>久本に鶴瓶…関西の芸人とは仲がよかった
関西出身のミュージシャンにいえることは芸人の友達が多いということかな。僕も紳助や久本(雅美)、鶴瓶らと仲がよかった。 紳助や久本はサウスの頃から知っている。といっても、紳助の場合はライブやっ…
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<第16回>大川慶次郎さんは当たらなかったら「予想師やめる」と
東京に住んでいたときは、たいてい渋谷の並木橋にある場外馬券場で馬券を買っていました。中央や地方の競馬場に行くことも、もちろんあるけど、あくまで音楽が一番大切だからね。 本気で勝とうと思ったら…
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<第15回>ギャンブル歴はミュージシャン歴より長い
ミュージシャンたちはギャンブル好きってことで、サウス時代は年がら年中ポーカーに明け暮れていたことは前に書いたけど、本当に一番好きなギャンブルは競馬です。 競馬は岐阜高校1年の時から始めたから…
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<第14回>親父の親友と駆け落ちした母親が1月に亡くなった
最近、若い頃からのミュージシャン仲間が次々と亡くなっています。友人の桑名正博をはじめ、今年の7月にはサウスの前身のバッド・クラブ・バンドのメンバー、石田長生が亡くなり、5人中2人しか残っていません。…
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<第13回>離婚でわかった借金、ギャラの未払い6000万円
売れるとか売れないとかは関係なく、インドネシアのミュージシャンたちとまた一緒に仕事をしたいと思っていたのに、それを阻んでいたのが信頼していた妻の朝本千可だった――。 マネジメントとかカネのこ…
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<第12回>インドネシアで出した曲が17週連続チャート首位
インドネシアに拠点を移したのは、最初から意図していたわけではありません。 バリ島に初めて行ったとき、1食7円という物価の安さに感激しました。「これなら1日21円で生活できる」と。昔から金に無…
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<第11回>39歳でサックスプレーヤーと結婚
「悲しい色やね」のヒットのあと、商業主義の波にのまれて、「売れ筋路線」の仕事ばかり事務所からやれと言われて、正直苦悶の日々がずっと続きました。1980年代前半から90年代にかけてのことです。 …
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<第10回>大ヒット「悲しい色やね」が代表曲といわれるのは…
大麻で逮捕されてから、PUSH&PULLというバンドを組んだんだけど、うまくいかなくてまたソロに戻りました。そして、1981年に「AFTER MIDNIGHT」というアルバムを出してそのB面に入って…
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<第9回>「上田正樹」リリース後のツアー初日、玄関叩く音が
サウス・トゥ・サウスを突然解散したから、契約でレコード会社と少し揉めたけど、何とか片付いてから高知に行きました。「8・8 ROCK DAY」で知り合ったトラベリン・バンドというグループと一緒にやりた…
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<第8回>年がら年中、楽屋でもどこでもやっていたポーカー
サウス・トゥ・サウス時代の記憶というと、どうしてもポーカーと切り離せないんだよね。今はギャンブルは競馬しかやらないんだけど、その頃は年がら年中、楽屋でもどこでもポーカーをやっていた。リハーサルなんて…
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<第7回>ライブ1回で体重5キロ減。そのまま続けたら死ぬ
サウスの絶頂期のころは、全国に出入り禁止の会場ができたばかりでなく、他のミュージシャンたちからも共演を嫌がられたこともあった。細野晴臣さんや宇崎竜童さん、夕焼け楽団の久保田麻琴さんらから「サウスとは…
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<第6回>ベトナム帰りの黒人兵には見向きもされず…
「MZA」や「バッド・クラブ・バンド」などを経て、「サウス・トゥ・サウス」結成に至るわけなんだけど、初ライブって、いつ、どこでやったのかまったく覚えてないんだよね。 メンバー も流動的だったし、…
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<第5回>結成と解散繰り返しサウス・トゥ・サウスができた
3カ月ホームレスを経験し、60年代の終わり頃、大阪の西成を拠点にしてバンドマン生活を始めました。 バンドマンというのは、だいたい1カ月単位でね。バンマス(バンドマスター)が契約していて、ディ…