スクープドッグ咆哮記「勝新太郎」編
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<最終回>俺の演技は遊びの“間”がある。間がいい役者が“麻”で捕まる。面白いな
「ここはオヤジがほんまに好きやったそば屋。芳香炉っていう鍋が名物で、よく一緒に食べましたね」 京都での取材途中、新関さんと私は麩屋町通「晦庵河道屋」に場所を移した。 「ここは空想、それと…
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<第4回>「夕立のざっと降る程浮名は立てど ただの一度もぬれやせぬ」ってね。俺の唄だからね
「そうそう、これが勝さんからいただいた手紙です。ぜひ読んでみてください」 新関さんがテーブルに置いたのは、白い封筒と勢いのある筆致で書かれた27枚の便箋。新関様と大きく宛名だけが書いてあり、裏…
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<第3回>「勝は出世魚。勝ちゃんが、勝さん、親分、オヤジという呼び名に…」
勝新太郎さんの追悼記事は週刊文春1997年7月3日号に「勝新さん さようなら」として書いた。土曜日に亡くなって月曜日には締め切りだったが、ぎりぎりまで粘ってあたった結果、ページが足りないくらいのエピ…
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<第2回>瀬戸内寂聴さんは「一銭も持ってないのに気前がいいんです」と振り返り…
「勝さんがいらっしゃるから」 1980年代、私がアルバイトをしていた六本木の飲食店にたびたび来店していた勝さんは、大勢の同伴者を従え、まさに豪放磊落なイメージにたがわぬ“豪遊”だった。 …
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<第1回>突然の訃報。私は急いで自宅に向かった
「座頭市」「悪名」「兵隊やくざ」など数々の映画でスターとなった“不世出の天才”勝新太郎さんが下咽頭がんで亡くなったのは1997年6月21日。65歳だった。 前年7月に同病を発病したが手術はせず…