五木寛之 流されゆく日々
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連載11872回 歩行の技法を考える <2>
(昨日のつづき) <技法>などと小洒落た題をつけたが、これは昔、大学生のあいだで<ナニナニの技法>などという本が流行ったのを真似したイタズラである。 医学理論も全く無視した勝手な体験記だから、常…
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連載11871回 歩行の技法を考える <1>
私が左脚に問題をかかえるようになってから、どれくらいたつだろう。 20、30年、いやもっと以前から脚部に異常を感じていた。 戦後70年あまり、病院にいかないことを自分に課してきたのだが、周囲…
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連載11870回 批評としての歌謡曲論 <4>
(昨日のつづき) 昨年から『文藝春秋』誌で準備中の『昭和万謡集』の計画は、少しずつ進んでいる。各界の識者がたへのアンケートは、意外なほど多くの反響があった。 次の予定は、昭和の歌謡曲をめぐる各…
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連載11869回 批評としての歌謡曲論 <3>
(昨日のつづき) おおまかに分けて、流行歌には4つのタイプがあるようだ。 一つは、ある時代に大ヒットし、その後もながくうたわれるもの。 もう一つは、一世を風靡し、大流行するが、意外にはやく…
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連載11868回 批評としての歌謡曲論 <2>
(昨日のつづき) 私は歌謡曲が好きだ。 歌謡曲、というより、流行歌といったほうがいいのかもしれない。 いわゆるエンカ系の歌、ということでなく、ジャズも、ラテンも、シャンソンも、またポップス…
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連載11867回 批評としての歌謡曲論 <1>
最近、いわゆる<昭和歌謡>をめぐる論議が活発化している。 新聞や雑誌などでも、それに関する文章がよく見られるし、単行本として刊行されているものも少くない。 『続・昭和街場のはやり歌』(戦後日本…
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連載11866回 作詞家としての親鸞 <6>
(前回のつづき) 親鸞について書かれた文章は、山のようにある。 それこそ難解な論文から通俗的な解説書まで、親鸞ほど多くの関係書が書店に並んでいる宗教者はいないだろう。 だが、この『作詞家と…
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連載11865回 作詞家としての親鸞 <5>
(昨日のつづき) 善人と悪人とを区別するのは、戒を守ること、布施をすることができるか、できないかにあった。 これは、わかりやすい言い方をすれば、金持ちか貧乏人かの差である。当時の一般庶民は、ほ…
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連載11864回 作詞家としての親鸞 <4>
(昨日のつづき) 今でもそうかもしれないが、平安時代の人間観は、社会的な立場から判断されていた。 たとえば打ち続く天災、旱魃、凶作、戦乱などで土地を離れ、流民として京の都に流れこんだ民衆は、ま…
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連載11863回 作詞家としての親鸞 <3>
(昨日のつづき) 俳句や和歌に形式があるように、<今様>にも決まったスタイルがあった。 テーマは自由だ。 宗教歌のような歌も多く、<法文歌>と呼ばれる。 旅の歌もある。名所旧蹟を紹介す…
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連載11862回 作詞家としての親鸞 <2>
(昨日のつづき) <今様>については、このコラムでも何度も書いたし、また対談や講演などでも繰り返し喋っているので、手短かに紹介しておく。 <今様>というのは、読んで字のとおり、当世風ということだ。…
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連載11861回 作詞家としての親鸞(1)
作家、井上光晴は<全身小説家>と自称した。自称したのか、文芸ジャーナリズムがそう呼んだのかは、はっきりしない。 これにならって言えば、親鸞のことを<全身宗教家>と呼んでもおかしくないだろう。 …
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連載11860回 きょう何を食べた? <4>
(昨日のつづき) <その人がどんなものが好きかを教えてくれれば、その人の生きた時代を当ててみせよう> と、いうのが私の提言である。 個人のキャラクターではない。時代がわかるのだ。 私は今…
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連載11859回 きょう何を食べた? <3>
(昨日のつづき) 私が5歳ぐらいのときに、支那事変が始まった。のちに日中戦争と呼ばれる対中国戦争である。 最初は小学校だったのだが、まもなく国民学校と名称が変り、国民学校生徒となった。 そ…
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連載11858回 きょう何を食べた? <2>
(昨日のつづき) 世間は大型連休とやらで楽しそうだが、こちらは連休明けに渡す約束の原稿に追われて仕事場にこもりっぱなしの休日だった。 朝は和食堂で、和定食。 金眼鯛の焼き物とオカラの煮物、…
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連載11857回 きょう何を食べた? <1>
有名な大食通、ブリア・サヴァランだったか、こんな言葉を残している人物がいたらしい。 <その人が何を食べているかを教えたまえ。そうすれば彼がどのような人物かを教えてあげよう> 正確ではないが、そ…
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連載11856回 共通言語のテロップ化 <3>
(昨日のつづき) 話が本題をそれて、養生について書いた。 なぜかといえば、テレビを観るたびに出てくるテロップがよく読めないことが、しばしばあるからだ。 なんとか日常生活にさしさわりのない程…
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連載11855回 共通言語のテロップ化 <2>
(昨日のつづき) 高齢化して困るのは、目と耳と口、である。 視力は50代から老眼鏡を使うことで、一応、問題なく推移している。 しかし私個人の好奇心から、この老化した視力の向上、再生はできな…
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連載11854回 共通言語のテロップ化 <1>
かつて<テロップ>というと、外国映画の画面の端に挿入される日本語の翻訳セリフのことだった。 出版物とちがって、もっぱら会話であるから、画面との呼吸が重要だ。名訳者といわれる翻訳家には女性が多かっ…
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連載11853回 昭和歌謡の抵抗線 <5>
(昨日のつづき) <昭和歌謡>といっても、いろいろある。 なんとなく歌謡曲、演歌系のメロディーが連想されそうな<昭和歌謡>だが、むしろポップス、ロック、フォーク系のほうが実際には時代の主流を占め…