研ナオコの「まっ、いっかで45年」
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<第10回>「私は泣いています」はりりィが私のために作った曲でした
11月には悲しい別れがありました。仲がよかった歌手のりりィです。 私のデビューは昭和46年、りりィは47年。知り合ったのはりりィがデビューした後、「私は泣いています」で大ヒットを出す前です。…
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<第9回>明石家さんまの上の部屋に住んでいた時のイタズラ
さんちゃん(明石家さんま)とは昭和50年代、「オールスターものまね王座決定戦」(フジテレビ系)とか、モノマネ番組に何回か一緒に出演しました。特番で彼を指名して、司会を一緒にしたこともあります。そんな…
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<第8回>志村けんさんは女の子にだまされている
志村けんさんとの付き合いも長いですよ。志村さんがまだ「ザ・ドリフターズ」のメンバーに入る前、ドリフの運転手をしていた時ですから。 ザ・ドリフターズには「8時だョ!全員集合」(TBS系)とか「…
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<第7回>美川憲一さんに「化けモノ」と言ったら…
私はお酒が飲めないので、意外に思われるかもしれませんが、同じ業界の方とプライベートでのお付き合いは少ないんです。でも、時々、美川憲一さんとは自宅に遊びに行かせていただいたり、親しくさせていただいてい…
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<第6回>梅沢登美男さんとのジョイントは3年前から
ヒット曲をたくさん書いてくださった中島みゆきさんとは「LA─LA─LA」のレコーディングの時に初めてお会いしました。 スタジオに入ったら姿が見当たらないので、マネジャーに、「どこにいる?」っ…
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<第5回>ようやく最初のヒット曲 「愚図」がハマった
ドラマや映画、バラエティーでみなさんに私のことを知っていただいてから、ようやく最初のヒット曲が出ました。昭和50年の「愚図」です。阿木燿子さん作詞、宇崎竜童さん作曲で、おふたりが初めてほかの人に提供…
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<第4回>堺正章さんの後ろ姿を見て研究したことが生きた
田辺エージェンシーの田辺昭知さんにお世話になった縁で、田辺社長と同じ元「ザ・スパイダース」でボーカルだった堺正章さんのライブショーに出させていただくことになりました。そこで、すごく勉強させていただき…
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<第3回>見いだしてくれた田辺さん「できあがってる子はいらない」
今回はデビューまでの経緯のお話を。 生まれたのは静岡の天城湯ケ島。子供の頃から友だちがいなかったですね。「遊ぼう」って誘ってくれても「いな~い」なんて返事しちゃう子でした(笑い)。友だちと遊…
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<第2回>野口五郎に「あの子しかいないよ」とアドバイス
ゴロー(野口五郎)ちゃんとは、ジョイントコンサートをやらせてもらって、今年で8年目になります。ディナーショーも含めると年間30本どころじゃない。イヤになるくらい一緒にやってますよ(笑い)。 …
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<第1回>17歳のデビュー曲は「大都会のやさぐれ女」
昭和46年にデビューして、一昨年から「デビュー45周年記念」と銘打ったコンサートをやっています。昨年は全国82カ所を回り、今年も「やってほしい」という声をいただいています。 歌はいまだに自信…