流れ流れて日韓米7球団
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北海道の病院で事務員をやりながら都市対抗を目指した
左膝のケガもあり、2011年に韓国サムスンを自由契約となった。しかし、自分の中では完全燃焼できていなかった。膝を手術し、3カ月間のリハビリを敢行。12年に楽天と日本ハムの入団テストを受けたが不合格と…
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ドラフト指名漏れで「ライバル」と「マスコミ」を恨んだ
中3の夏から秋にかけ、埼玉・聖望学園に通う中学の1年先輩に「おまえ、進学先決まってる? 一緒にやらないか?」と誘われて決めた。甲子園出場経験がある所沢商のブルーのユニホームに憧れていたが、推薦枠の関…
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仙台六大学リーグ 東北福祉大だけは木製バットで戦った
同じ釜の飯を食った東北福祉大の先輩では、1学年上の和田一浩さん(元西武、中日)、2学年上の関根裕之さん(元日本ハム)、三野勝大さん(元巨人、横浜)が後にプロに進んだ。 投手としてお手本にした…
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東北福祉大寮生150人 1年生が入る風呂は“ポカリスエット”
「おまえ、それだけデカいとサラリーマンはできんやろ?だからプロにならなあかんのや」 入学してすぐ、190センチ超のボクをつかまえ、真っ先にこう言われたのが東北福祉大の故・伊藤義博監督だった。高…
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登板前日でも平気で休む 韓国プロ野球のワイルドな調整法
韓国プロ野球の春のキャンプはとてつもなく長い。最近は短くなっているようだが、ボクが韓国にいた2009~15年は1月半ばから2カ月間、汗を流していた。 自己管理が苦手。オフは何もやらないで休む…
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韓国サムスンコーチ1年目に下された「助っ人改造指令」
日本で現役を引退し、2013年に韓国サムスンと「インストラクター」という投手コーチ補佐のような契約を結んだ。ここでリック・バンデンハークと出会った。ソフトバンクでは15年に9勝0敗、昨季は7勝3敗の…
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韓国では試合開始直前にバーベキューで肉をジュージュー
もともと韓国料理は好きだった。辛いものが多いが、最初はうまい、うまいと食べていた。それも1週間でツラくなった。 驚いたのは試合前。日本の場合は麺類や軽食で済ませる。ボクはバナナ1本でマウンド…
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「日本野球の全て教えて」韓国代表正捕手から質問攻めに
韓国のSKでバッテリーを組んだ韓国代表の正捕手、パク・キョンワンに、2009年WBCの日韓戦後に起きた「国旗事件」の真相を聞いて意気投合した。 「日本野球に追いついたうれしさであって、挑発や敵…
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第2回WBC直後 韓国SKで聞いた「国旗事件」の真相
韓国のSKに入団した。2009年4月のことだ。カブスに挑戦する前に巨人を自由契約になった時も、日本のロッテでコーチ歴があるキム・ソングン監督と近鉄時代に一緒だった伊勢孝夫打撃コーチが、優勝旅行先のハ…
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待遇格差は聞いていたが マイナーの昼飯リンゴ1個の現実
2008年オフに巨人を自由契約にしてもらい、米カブスとマイナー契約。招待選手として09年春のメジャーキャンプに、20日間ほど参加した。 FAで巨人に入る前も、一度は海を渡ろうとした。せっかく…
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横浜では“大魔神”佐々木さんのスパイク履いて代役守護神
「番長」といわれた横浜の三浦大輔は、同い年でもあり、ボクが初めて強いライバル心を燃やした投手である。最初に入った中日時代のエースは今中慎二さん、山本昌さん。追いつけない存在だと思っていた。 大…
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近鉄はどんぶり勘定 白紙のノートで何万円も年俸アップ
近鉄2年目の2001年、調子に乗った「いてまえ打線」は打ちまくって劇的な優勝を飾った。しかし、ボクは開幕投手を務めながら6失点と打ち込まれた。2戦目の先発前に「今日ダメなら二軍に落とすぞ」と故・小林…
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近鉄では深夜の昇格指令、二軍→一軍の“連投”があった
近鉄は良くも悪くも大ざっぱなチームだった。二軍落ちの際に首脳陣から何も説明がないことは前回述べたが、一軍昇格も突発的だった。 一、二軍の連携があまり密ではないため、選手が振り回される。他球団…
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選手と首脳陣が酒を交わす近鉄は全てが「自由」だった
二軍暮らしが続いた中日4年目の1999年、藤井寺球場での二軍戦で近鉄を完封した。試合後、近鉄の梨田昌孝二軍監督(現楽天監督)に声を掛けられた。 「何でおまえみたいな投手が二軍にいるんや。もった…
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相手にぶつけても謝ってはいけない…闘将流“鉄の掟”
闘将・星野仙一監督は逃げることが大嫌い。 「四球を出すくらいなら打たれろ。強気に攻めて打たれた方が反省して次に生きるんや」 これが口癖だった。当時の中日投手陣は「四球だけはやめよう」と…
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中日・星野監督から“鬼説教” 食事中にチビりそうになった
「おい、門倉っ! ちょっと来い!」 星野仙一監督に宿舎の食堂に呼び出された。 「勝てる場面で簡単にマウンドを降りやがって!そんな根性じゃ、この世界で食っていけんぞ!」 中日2年目…
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いつも身代わりになってくれた謝りたい「先輩」捕手がいる
投手にとって捕手は「恋女房」や「相棒」という。それほど大事な存在だ。巨人時代は阿部慎之助。後に日本を代表する捕手になるが、ボクが巨人にFA入団した2007年当時は28歳。完全に打撃優先型で「よく打つ…
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上原は僕との試合で有名に…僕はフォークの極意を教わった
巨人のエースだった上原浩治(現カブス)との出会いは、ボクが東北福祉大4年だった1995年の6月。全日本大学選手権で大体大と対戦した試合だ。2歳年下の上原は1浪しているため、当時1年生。先発として投げ…
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巨人2年目で自由契約に…実はボクから頼んだものだった
「巨人に来たからって、よそいきにならなくていい。投手陣を明るくしてくれ」 2007年、原辰徳監督にそう言われて始まった巨人生活。開幕2戦目で古巣・横浜相手に八回途中2失点と好投をしながら敗戦投…
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メジャー球団との契約直前 巨人原監督からの電話でFA決断
2007年の横浜との開幕戦。普段は「コース」だけを決めて打席に入るという巨人の高橋由伸が「球種」も狙い、見事に三浦の初球、外角のスライダーをフルスイング。開幕プレーボールホームランが右翼席に吸い込ま…