ゴルフは本当に面白い!
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松尾雄治さん(3)ホールインワンに誰よりも喜んでくれたビートたけしさん
「てめえっ! 松尾!」 六本木の飲み屋でトイレにいた時、こう叫びながらドアを「バーン!」と蹴飛ばして入ってきたのがビートたけしさん。 びっくりして振り向いた私の顔を見て、次に驚いたのが…
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松尾雄治さん(2)ゴルフとラグビーにはマナーを重んじる共通点
ラグビーを現役引退した後に、なぜゴルフを選んだかといえば、個人スポーツであることが大きい。ラグビーは一人ではできないし、自分一人の力でどれくらいできるのか、という限界もある。 その点、ゴルフ…
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松尾雄治さん(1)ゴルフ熱に火が付いたのはテレビマッチ出演がきっかけ
ゴルフを本格的に始めたのは31歳の時。ラグビーを引退して、釜石から東京に帰ってきたときですね。成城学園の先輩、アルファキュービック(創業者)の柴田良三さんに連れられて本当によく行きました。 …
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神和住純さん(4)聖地セントアンドルーズでキャディーに怒られた笑い話
1991年7月1日に、ゴルフの聖地・スコットランドのセントアンドルーズ・オールドコースをプレーしました。 ウィンブルドンのミドルサンデー(大会期間中に設けられた休日。今年から廃止)を利用して…
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神和住純さん(3)テニスの連戦できつかった時にゴルフがいい気分転換に
ATPツアーの試合が行われる施設には、ほぼ必ずと言っていいほどゴルフ場が併設されています。だからプロテニスプレーヤーやテニス関係者の間では自然に、「時間が空いたらゴルフをやろう」という話になり、上手…
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神和住純さん(2)「ペッ、と打つんだ」青木功さんのアプローチ、最初はよくわからなかった
テニスとゴルフで共通するのは「面を使ってボールを操る」という点だと思います。一番びっくりしたのはNHKの「ベストゴルフ」という番組でご一緒した杉原輝雄さんです。 練習場で「見てろな」と言いな…
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神和住純さん(1)ジャンボさんは「左手で」青木功さんは「右手で」と助言がバラバラ
ゴルフとの出合いは、たぶん30歳前後だったと思います。もう休刊になった週刊パーゴルフの企画がきっかけでした。 その企画は三木鮎郎さん(ジャズ評論家・テレビ司会者)の連載で、テニスとゴルフの学…
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石原良純さん(4)久しぶりにゴルフを再開したらまったくボールが飛ばない
ゴルファーにはギアにこだわる人とこだわらない人に分かれますよね。 僕は最初、父親のお古のクラブを使っていました。アイアンはカーボンシャフトのホンマ。ウッドはベン・ホーガンを使っていました。 …
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石原良純さん(3)一番の自慢はサントリーオープンのプロアマでドラコン賞獲得
舘ひろしさんは1979年から5年続いた刑事ドラマ「西部警察」が終わるまでの間は、ゴルフをしていなかったと思います。ただ次の作品まで間が空いた時、冗談交じりに「良純、(ゴルフを)ちょっと教えてくれよ」…
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石原良純さん(2)タテ社会の石原プロでは緊張したけど、ゴルフになると楽しかった
親父(石原慎太郎氏)に20歳前からゴルフをやらせてもらったことは、すごくよかったと感謝しています。なぜかというと、芸能界に入ると40~60代のかなり目上の方とも会話を交わさなければならないからです。…
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石原良純さん(1)親父に突然連れていかれた初ゴルフはすごくいい出合い
「おい、ゴルフに行くぞ!」 と、いきなり親父(石原慎太郎氏)に言われて、大学生のころにスリーハンドレッドクラブ(神奈川)に連れていかれたのが、ゴルフとの本格的な出合いです。 子供のころ…
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王理恵さん(4)今の私にとって「ゴルフは生きがい」健康と両立させるメニュー開発にも力入れる
今年も年間のゴルフは100ラウンドを超えることになりそうです。プレーするゴルフ場が決まったら、事前にウェブでレストランのメニューをチェックするほど、ランチは楽しみなんです。 植物性由来のもの…
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王理恵さん(3)ゴルフには人生にも共通する大事なことが凝縮されている
7年前にゴルフを再開して父(王貞治氏)たちと夫婦同士4人でゴルフをするようにもなりました。夫は野球少年でもあったので、父とは話が合うようです。私たちは3姉妹だったので父は息子が欲しかったようですし、…
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王理恵さん(2)ゴルフを通じて、父も主人との結婚に賛成してくれた
大学時代に女性ファッション誌「JJ」(光文社)主催のゴルフ大会「キャンパスクラシック」で優勝しました。 すごい賞品をいただいて、持って帰ったら父(王貞治氏)がすごく喜んでくれました。その後、…
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王理恵さん(1)荒川博さんに教わり、2年ぐらいで90台が出るようになりました
ゴルフを始めたのは、青山学院大に入学した時です。中学、高校とバレーボールをしていたのですが、大学入学と同時にゴルフサークルに入ったからです。そもそもゴルフは子供のころから身近な存在。父(ソフトバンク…
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瀬古利彦さん(4)ウエッジで寄せてパーを決める「3打目の瀬古利彦」です
14本のクラブの中で、以前は7番アイアンが好きでした。自信を持って打てたのでボールもピンに寄っていく。ホールインワンも7番アイアンでした。 北海道には1990年に起きたエスビー陸上部員交通事…
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瀬古利彦さん(3)ケニアではフォアキャディー3人がボールを打つたびにワーッと走り出す
海外でもよくゴルフをしました。 ■マラソン合宿の合間に世界各地でプレー ハワイのホノルルマラソンに応援に行った時です。レースが終わった翌日に、帰国まで時間があったので友人と一緒にコオリ…
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瀬古利彦さん(2)円楽師匠と一緒にプレーするとキャディーさんがわざと間違えちゃったり
1985年に恩師の中村清監督が亡くなってからは、ちょくちょく三重の田舎に帰るようになり、親父や兄貴たちとゴルフをする機会がありました。 でもその頃は現役マラソン選手でしたから、本格的にゴルフ…
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瀬古利彦さん(1)コースデビューはスコア95。天才だと思いました
ゴルフクラブを初めて握ったのは高校1年生の時。親父がゴルフ好きで、「おまえも来なさい」って言われ、打ちっ放しの練習場に行った時が最初ですね。中学までは陸上と野球の毎日でしたから、日曜日は試合と練習が…
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諸星裕さん(4)エースを初達成した同じコース、同じホールで2週間後に2度目の驚き
ホールインワンは7回あります。最初は1982年5月12日にミネソタ州のワピカダGCでした。 この時、一緒にプレーした妻、雅子から、「私、見てなかったからダメ」と言われました。傑作でしょう? …