保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(40)軍事指導者が持っていた独特の戦争観
本土決戦という語をさまざまに分解して見ていくと、図らずも私たちの国の奇妙な発想が浮かび上がってくる。このシリーズではその浮かび上がってくる国民性や国家観の構図を考えてみたい。あえてまず2つの歪みを語…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(39)亡国の輩が呼号した「本土決戦」のまやかし
戦時用語の6番目は「本土決戦」である。この語に潜んでいるさまざまな意味を、私たちは読み取る必要がある。昭和20(1945)年8月の段階で、本土決戦を呼号していた軍事指導者は、実は「愛国者」のふりをし…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(38)隣組の誕生とともに急速に進んだ天皇の神格化
天皇の神格化が急速に進むのは、昭和12(1937)年ごろからである。小学校では御真影を奉護するための奉安殿が設置されていく。さらにこの年5月には文部省から、「国体の本義」という冊子が刊行されている。…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(37)もし本土決戦になっていたら隣組はどうしたのだろう
入営した兵士は、いくつかのパターンがある。もっとも兵士としての循環は、故郷をまさに歓呼の声に送られて入営すると、「天皇の軍隊」としての奉仕を徹底的に叩き込まれる。上等兵への奉仕もそのひとつであり、暴…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(36)帝国陸軍が生んだ暴力の連鎖
「隣組」についてもう少し話を進めよう。いわば銃後の一般社会ではなく、軍隊内の兵営を隣組とみて分析していくと、もう少し戦争が延びたならば、やがて隣組が兵営となっていったと思われるのだ。 兵営とは…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(35)本土空爆で生き残った日本人たちとは
戦争末期、アメリカ軍のB29は自在に日本本土を爆撃したが、その折に事前に予告ビラを投下している。何月何日の午後何時にこの都市に爆弾を落とすという内容である。日本の軍事政権は、こうしたビラを「見るな、…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(34)「模範的国民」ゆえ、米軍の空爆を受けた
もうひとつ、具体例を挙げる。これは関東地方のある中小都市の話である。戦争末期になると、日本国内のどこかはアメリカ軍のB29による爆撃を受けることになった。制海権、制空権とも全てがアメリカ軍に移ってい…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(33)負傷兵を自殺に追い込んだ「隣組」の恐怖
近代史を調べていてなんとも納得できないのは、昭和10年代は日本史全体の中でも異様な空間だったということだ。例えば、ということになるが、日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスを見ていて、軍部(特に陸軍)…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(32)隣組の班長は「小役人」でもあった
隣組のイメージは、硬軟両面がある。それをもう少し詳しく述べよう。 まずこの隣組は、歴史的に見るならば、国が国民を指導、管理、そして支配するという意味でもあった。国家の意思を末端まで伝えようと…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(31)大政翼賛会の末端組織としての「隣組」
戦時用語の第4弾は「隣組」である。江戸時代の「五人組」と同種の用語である。国民を相互に監視させて、時の政府の政策に協力させる用語とも言えるであろうか。 この隣組が正式に用いられるようになった…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(30)日本の兵隊は死ぬことが前提だった
日本軍の兵隊は強かった、という言い方は戦後でもよく言われるエピソードであった。本当にそうか。その点を私の取材メモ、あるいは入手した文書などで語っておこう。 今からもう30年近く前に、アメリカ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(29)電車賃も遊郭も半額という軍人優先社会
昭和10年代、日本は日中戦争から太平洋戦争へと進んでいく。いわば戦争の時代に突入したということでもあろう。少年たちは一様に軍人や兵隊になることに憧れた。これまで見てきたように軍内暴力の凄まじさや戦闘…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(28)「弾丸は後ろからも飛んでくるからね」
「兵隊さんよ ありがとう」とか「父よあなたは強かった」と、子供たちに歌わせて、いかにも皇軍の兵士は戦場の勇者のように語られながら、実際はどうだったのだろうか。兵士たちは、ありがとうとお礼を言われるよう…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(27)「兵隊さんよ、ありがとう」
戦時用語があれば、当然ながら戦時歌謡がある。簡単に言えば、戦争への参戦意識をひたすら鼓舞するのである。今回からそうした戦時歌謡(「兵隊さんよ ありがとう」)を取り上げて、庶民はどのように参戦意識を高…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(26)軍事機構は錯乱の世界に入っていった
戦争はむろん軍事機構が軸になるにせよ、軍事だけに任せておけば彼らの論理だけで戦闘行為を進める。軍人はとにかく「戦闘に勝つ」ことが第一義で、国力の限界などに気を回す軍事指導者は少ない。政治が軍事をコン…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(25)皇国の精神の発露としての「海ゆかば」
皇国という語は、昭和10年代の重要なキーワードになっていくのだが、もう少し別な角度から論じておこう。この語を象徴する歌が作曲されて、国民の間に広がっていくのだ。例を挙げれば、「海ゆかば」がそうである…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(24)天皇を神格化した東條英機の狙い
東條英機の上奏時の態度、物腰が他の上奏の者よりもきびきびしていて、いかにも軍人という意味合いもあった。これは天皇の前まで案内する侍従の証言なのだが、東條は天皇の前に出ると、軍靴をカチッと合わせて直立…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(23)東條英機は巧妙かつ狡猾だった
太平洋戦争は、〈東條英機〉という軍官僚によって担われたわけだが、その割に東條の実像は知られているわけではない。私は昭和50年の前から取材を始め、それから5年ほど存命の関係者(東條カツ夫人をはじめ同期…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(22)天皇を封じ込めた陸軍の狡猾なトリック
「皇国」の形骸化は、むろん陸軍でも行っていた。皇国というのは、まさに「神の国」という意味を持たされた。当初は陸軍の長老である荒木貞夫が文部大臣に就任することによって、この語が戦時用語となっていったわけ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(21)軍事指導者たちは天皇に事実を伝えていたのか
昭和10年代は、戦争の10年であった。同時に戦時用語の氾濫時代でもあった。従ってこの時代に用いられた用語は、平時には全く使われていない。「皇国」という語はそのもっとも代表的な単語でもあったが、この語…