保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(20)「皇国」を支えた天皇神権説の矛盾
普通なら青年将校が起こした事件であり、監督者の世代にあたる梅津美治郎や寺内寿一、それに東條英機らの軍官僚は恐縮して軍内の引き締めに当たらなければならなかった。しかし現実の動きは逆に進んだのである。む…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(19)二・二六事件は失敗ではなかった
軍部が「皇国」という語を国民に強要し、そして戦時用語にと変えていく事件、事象といえば、二・二六事件となるのだが、この事件は歴史上では失敗したとなっている。しかし表面上は失敗したように見えて、当時の軍…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(18)皇国と天皇機関説
皇国の柱は、天皇神権説(あるいは天皇主権説)を国家の解釈の土台に据えることであった。荒木貞夫をはじめとする軍内の皇道派は、なんとも目障りな天皇機関説を排撃しなければならないと考えた。そこで学者の蓑田…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(17)「皇国ノ興廃コノ一戦二アリ」
7つの戦時用語について論じているこのシリーズ、3番目に取り上げるのは「皇国」である。「すめらぎの国」ということになるのだが、この語が実際に使われるようになったのは、実は昭和8(1933)年ごろからで…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(16)サイパンでゲリラ戦を戦った学徒兵の怒り
サイパンでも「玉砕」に応じないで、山中に閉じこもってのゲリラ戦を戦った学徒兵出身の下級将校や兵士は少なからず存在する。それは主に数百人の兵士を率いる中隊長クラスになるのだが、私は昭和60年代に入って…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(15)すでに武器はなく、石を持って突撃した
サイパンの「玉砕」がいかに過酷であったか、そういう例はいくつも挙げられるのだが、あえて今、私たちが知っておかなければならない史実を語っておこう。 この地で日本兵は4万1000人余が戦死、住民…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(14)「難攻不落」のサイパン、5万人が玉砕
3年8カ月の太平洋戦争の中で、「玉砕」と言えばどうしてもサイパンを取り上げておかなければならない。昭和19(1944)年7月のサイパン玉砕は、この戦争の本質を見事なまでに表していた。この地では4万人…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(13)「なにが軍神だ、英霊だ」
アッツ島で玉砕した兵士の遺骨を入れた白い箱、それを肩からかけて札幌市内を中学生たちは行進させられた。昭和18(1943)年7月のことだ。そういう中学生の一人に札幌一中の生徒がいた。Sさんとしておこう…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(12)米兵を恐怖させた、日本兵の最後の突撃
「玉砕」という戦時用語について、もう少し説明をするが、アッツ島は地図を見ても分かる通り、アリューシャン列島の一角に位置するアメリカの領土である。といっても住んでいるのは現地の住民程度で、日本はここに航…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(11)「玉砕戦術」は軍官僚の責任逃れであった
なぜこれほどの「玉砕戦術」を選択したのだろうか。その理由を確認していくと、すぐに幾つかの理由が挙げられる。しかしより重要なのは、ただ一点に絞られることだ。それは、「軍官僚の責任逃れ」という一事である…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(10)太平洋戦争の多くが日本の「敗戦」だった
実際には戦争という状態なのに、事変という言葉で事態を糊塗するから奇妙な造語がはびこるようになる。すでに述べたように「暴支膺懲」などはその一例だが、これまで説明してきたように戦時用語の類いもその流れで…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(9)「事変」という誤魔化し
満州事変、支那事変など、日本は戦争と呼ばずに、「事変」という語を用いた。実質的には戦争状態なのになぜと首をかしげたくなる。よく調べていくと、3点の理由が挙げられる。そのことを説明しておきたい。それが…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(8)「玉砕」と「事変」
戦時用語の第2弾となるのだが、「玉砕」という単語について考えてみたい。戦時下でこの言葉は、「特攻」という語とともに最も頻度の高い用語であった。砕け散って玉と散る、というのが本来の意味であろうが、戦時…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(7)「武士道」を忘れた軽薄な陸軍教育
日中戦争の渦中で、日本軍兵士は極めて矛盾した行動をとっている。ひとつは、中国に対して侮った態度をとったこと。もうひとつは、故郷での「武運長久」の圧力や期待に応えようと必死であったこと。前者はいわゆる…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(6)「りっぱな戦死とえがおの母親」
戦時用語としての「非国民」が突破口になり、日中戦争が持久戦争になっていくのに比例して、用語は次第にスローガンへと変わっていった。前回紹介したように、ヒトラーがナチス用語を作って国民をファシズム体制に…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(5)戦時用語はなぜ生まれたのか
「非国民」という戦時用語を分析していくと、すぐに幾つかのことに気がつく。この言葉が頻繁に使われるようになったのは、昭和12(1937)年の盧溝橋事件に端を発した日中戦争以後である。軍部は「聖戦完遂」を…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(4)八路軍になった「非国民兵士」
非国民という語は、実は日中戦争の戦場でもしばしば用いられた。これに対峙するのは、臣民という言葉になるのだろうが、戦場では2つの局面で用いられたと言ってもよいであろう。ひとつは、「勇気のない兵士」への…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(3)祈る姿は愛国者、心の中は非国民
「非国民」とか「売国奴」、さらには「第五列(注・軍隊では四列縦隊が一般的だが、第五列とはスパイのことを指す)」などという語は、戦争に入る前に最も叫ばれる慣用語である。こんな言葉が社会に浮上してくるなら…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(2)「非国民」
「非国民」という語で、昭和10年代を見ていくと、さまざまな光景が浮かんでくる。昭和10年代は、近代日本の終末期にあたるということもできるのだが、それは昭和12(1937)年7月の盧溝橋事件を皮切りに始…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(1)死語同然になった言葉が持っていた暴力性
まもなく「昭和100年」、あるいは「戦後80年」の節目の年がやってくる。過去を振り返るばかりでは、私たちの気持ちも萎えていくことになるのだが、さりとて新しい年を楽観視しているわけにはいかない。ロシア…