芸能界と格闘技界 その深淵
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「よし、曙vsボブ・サップをやろう」当時、曙は困難な状況に置かれていた
日刊スポーツの記者との何げない雑談から、格闘技史のみならず、テレビ史まで塗り替える“事件”が起きようとは、谷川貞治はもちろん、情報を漏らした記者自身も思いもしなかったかもしれない。 「大相撲を…
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谷川貞治が回想する「児玉さんが言うこともわかるけど、僕とは根本的な発想が違う」
2003年当時、K-1のメインスポンサーだったアルゼ株式会社。その代表取締役社長の岡田和生が「タイソン対サップは日本でやってほしい。海外開催なら支援は出来ない」と明言したことで、マイク・タイソンのK…
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岡田和生社長はタイソン対サップ戦を「東京でやってほしい」と主張
ほぼ決まりつつあった2003年12月31日「マイク・タイソン対ボブ・サップ inホノルル」だったが、この時期、K-1のメインスポンサーだった大手ゲーム機メーカーのアルゼ株式会社(現・株式会社ユニバー…
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9割方決まりつつあった「タイソン対サップ」in ハワイ計画に「待った」が…
2001年から2004年までK-1の年間スポンサーだったのが、パチンコ、パチスロ、ゲーム機器の大手メーカーであるアルゼ株式会社(現・株式会社ユニバーサルエンターテインメント)だった。 師走に…
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谷川貞治氏が回想「『K-1 MAX』で魔裟斗をスターに育ててもらった恩義もある」
K-1プロデューサーの谷川貞治が「マイク・タイソン対ボブ・サップ」の実現に奔走していた2003年9月は、K-1にとっても谷川本人にとっても過渡期だった。 9月25日には、これまでK-1の興行…
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米国には実力があっても食えないボクサーがゴロゴロ「K-1対ボクシング対抗戦」構想も
あらゆる方法を駆使してマイク・タイソンの入国を試みたK-1プロデューサーの谷川貞治だったが、努力が実ることはなかった。 「入管から『審査の結果が出ました』って連絡が入ったんです。それで法務局ま…
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サップが生出演番組で「日本でダメなら米国でやればいい。ハワイなら日本と米国の中間だしな」
マイク・タイソンとの複数試合契約を結んでからというもの、K-1プロデューサーの谷川貞治は「どうにか、タイソンを日本に入国させられないか」と頭を悩ませていた。 「出入国管理及び難民認定法」が明記…
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谷川貞治が述懐するタイソン来日の舞台裏「2003年だけは異常だったと思う」
2022年12月2日、筆者は谷川貞治と会った。キックボクシングの会場で会うなど、月に1度は顔を合わせていたが、現在の彼は12月28日に行われる「INOKI-BOM-BA-YE×巌流島」のプロデューサ…
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「フジと日テレの2局が裏で握り合ってコラボ計画。それくらいTBSを締め出したかった」
創始者である石井和義の逮捕に始まり、人気者ボブ・サップの失速、PRIDEとの決裂、ミルコ・クロコップのPRIDE移籍、ピーター・アーツのPRIDE移籍未遂……。 災厄にとりつかれたとしか思え…
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曙の電撃参戦で本格化 ついに“大晦日格闘技戦争”の火蓋が切られた
曙太郎。第64代横綱。アメリカ・ハワイ州オアフ島ワイマナロ生まれ。旧名・チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン。少年時代から長身を生かし、バスケットボールに取り組む。 大学中退後、同じハワイ出…
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“大晦日のDynamite”開催緊急会見で発表「新たな伝説をつくります」
日本テレビが「猪木祭」の開催を発表した2003年10月30日。その6日後の11月5日、K-1とTBSテレビのスポーツ局の連名で、マスコミ各社に一斉にリリースが流された。筆者の自宅にもファクスが来た。…
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なぜ石井和義は法廷の場で禁句のはずの本心を明かしたのか
日本テレビが「猪木祭」の開催を発表した2003年10月30日から、さかのぼること11日前、東京地裁で法人税法違反及び証拠隠滅教唆の罪に問われた元K-1プロデューサー、石井和義被告の第7回公判が開かれ…
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日テレのリリースには「大みそか総合格闘技イベント“猪木祭”今年は日本テレビが中継」と…
アントニオ猪木、百瀬博教、川村龍夫、榊原信行、川又誠矢の5人がホテルオークラで話し合いを行い、猪木本人と覚書を交わした百瀬博教の許諾を得られて「イノキボンバイエ」の名称を使用できることになったのが、…
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ピンときた石井和義の思惑「後藤組を使って手を引かせようとしている」
石井和義が「大晦日のPRIDEとの合同興行から手を引いてもらえないか」と川又誠矢に要求したのは、PRIDEの存在を脅威に感じ、同時に疎ましかったからなのは衆目の一致するところである。 「それは…
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先の読めない不安に「石井館長と俺との間に起きた出来事を改めて整理しないと」
ホテルオークラでのミーティングが終わって、川又誠矢が主催する格闘技イベントには「イノキボンバイエ」のタイトルが付けられ、大晦日に日本テレビで放映されることが正式に決まった。これで明日10月30日、無…
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2003.10.29の会合で重要なのは、榊原が「百瀬さんを切れる」と思ったに違いないこと
2003年12月23日発売の週刊誌「FLASH」(2004年1月6.13日合併号)に一枚の集合写真が載った。 場所はホテルオークラ、写真の日付は「2003.10.29」、アントニオ猪木、百瀬…
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「不良とは?」と問うた水道橋博士に「命懸けの虚構だ」と返した百瀬博教の実像
「PRIDEの怪人」「戦後最大の不良」などと畏怖される百瀬博教について、川又誠矢が抱く印象は独特なものである。 「“憎い”とか思ったことないし“怖い”とかも全然思ったことはない。まあどんな人物な…
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アントニオ猪木の“後見人”百瀬博教本人から日テレに内容証明が届いた
2001年と2002年の大晦日にTBSが放映した格闘技中継のタイトルが「INOKI BOM-BA-YE2001-2002」だったことは、多くの人が記憶していることだろう。 ■「アントニオ猪木」…
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「合計8億円の3年契約」でもミルコ・クロコップら大物選手の出場は不可能
格闘技情報サイト「BOUTREVIEW」を主宰する井田英登は「猪木祭三分裂を徹底検証(5)イノキボンバイエ2003編 IB派の野望と業界地図の変化」なるテキストで《「小川、吉田、ミルコ、ヒョードル、…
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日テレ編成Pが口にした見解「ウチがやることが伝わった時点で、他局はどこも手を引く」
2003年10月14日、汐留の日本テレビ本社で、大晦日の格闘技中継に関する最終の話し合いが行われた。 出席者は日本テレビ側から編成部長の田中晃、編成部プロデューサーの宮本修二、事業担当者の3…