五街道雲助 大いに語る
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五街道雲助「人間国宝の立場となると、単純に喜んでいられません」
1981年、雲助が真打ち昇進した当時は、師匠の馬生も元気で、披露口上を述べてくれた。 「その翌年、がんになっちゃった。食道がんが咽頭に転移して、声帯の除去手術をすれば延命できたんですが、『噺家…
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「かいば屋のご縁で口上書きは野坂昭如先生、表紙の絵は滝田ゆう先生が描いてくれた」
1972年、二つ目に昇進して雲助と改名したが、当時「雲助」というのは、乱暴でガラの悪いタクシー運転手を指す侮蔑語だった。 「(先代)志ん馬師匠が可愛がってくれて、ラジオのリポーターの仕事を紹介…
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五街道雲助に改名「おまえみたいな優男が出てくればお客さまに受けるだろう」
雲助は1968年2月、先代金原亭馬生に入門した。馬生は古今亭志ん生の長男で志ん朝の兄。独特の語り口と洒脱さで、ファンが多かった。 「7番目の弟子なので前座名が駒七。通い弟子です。当時、師匠宅に…
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明大の落研に入部「落語熱がぶり返して、毎日授業をサボっては寄席通いで…」
雲助は墨田区本所に生まれ育った。 「生まれてこのかた75年間、一度も本所を離れたことがない。ですから、人間国宝に認定された時も、本所2丁目の町内の皆さんが祝ってくれました」 落語は子供…
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落語界最大の話題は五街道雲助の人間国宝認定…本人は「『誰がですか?』と聞き返しましたよ」
今年、落語界最大の話題は、五街道雲助が重要無形文化財、通称「人間国宝」に認定されたことであろう。東京の落語家では、柳家小さん、柳家小三治に次いで3人目である。 まずは、その知らせをどのように…