林家二楽 大いに語る
-
「兄弟子がいなくなった今、紙切りを伝承する責任があたしに課せられると思っています」
紙切りの作品をお客に見せるのに、実物よりも大きく、影絵として映るОHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)を使うことがある。 「それによって、後方のお客さまによく見えるようになりました。3代目…
-
「野球選手だと昭和は王、長嶋で、平成はイチロー。令和になってからは大谷一辺倒です」
紙切りはどこでも客の注文を受けて即興で切る。どんな難題にも対応する技量が要るのだ。 「一応『なんでも切ります』とは言うものの、親父の時代とは違います。現代はインターネットが普及して情報量が桁違…
-
学校寄席では見るからに出来の悪そうな生徒が「麻原彰晃」と注文し…
紙切りは落語と違って、日本語が通じない外国人にも喜ばれる芸だ。二楽はアメリカの日本語学校で披露したことがある。 「注文されたものを切るごとに、『ファンタスティック!』とか『マーベラス!』と称賛…
-
「親父に言われたことを思い出します。『野次馬根性で、何にでも興味を持たなくちゃいけない』と」
紙切り芸人はお客から注文を受ける。どんな題が出るのかわからない半面、定番の注文も多い。 「定番はその年の干支と季節の風物詩ですね。1月は『お正月』、3月は『おひなさま』、4月は『お花見』で5月…
-
「紙切りの稽古は相対するのでなく、師匠の背後に回って、後ろから切るのを見るんです」
父親である2代目正楽の弟子になった二楽の修業は続く。 「とにかく、『目に入る物はなんでも切って持ってこい』と言われました。持っていくとそれを直してくれる。紙切りの稽古は相対するのでなく、師匠の…
-
「紙切りの稽古は、馬の形を切るのが最初。次はネズミ、牛、虎、猿といった干支の動物です」
二楽の青春時代はどうだったのか。 「高校生になると、『寄席はダサいぜ』なんて生意気言うようになった。紙切りなんか忘れて、友達とパンクロックのバンドを組んで、ベースを弾いてました。卒業してから、…
-
「兄弟子の正楽が亡くなって、紙切りではあたしが一番の古株になってしまいました」
紙切りはどんなお客にも喜ばれる色物である。林家二楽の父親は2代目林家正楽で、子供の頃から紙切り芸を身近に見て育った。紙切りの申し子とも言うべき二楽に、正楽代々の話や芸の苦心談などを語ってもらおう。 …