アンナの離婚計画 離婚認めない父・梅宮辰夫を動かした策
「生まれた日に離婚しようと思っていました。満1歳になったときに離婚が成立しているから、百々果(長女)はお父さんと会ったことがない」
今年2月、梅宮アンナはテレビ番組で離婚は計画的だったことを語った。
アンナが一般男性と結婚したのは2001年6月。デキ婚だった。翌年1月、百々果さんが誕生した頃、アンナはすでに「離婚」を考えていたわけである。有言実行。2003年2月、長女満1歳の誕生日の翌月に離婚している。
まるで台本通りに事が運んだのはメディアの効用だったと思う。本来、隠したいはずのスキャンダルをあえて、メディアにさらすことに意味を持った稀有なケースだった。
アンナは妊娠中から夫と衝突することが多くなり、悩んでいた。父親・梅宮辰夫氏に相談したが、父親はかたくなに離婚を許さなかった。父親の同意を得られなかったアンナは親しい人にも相談。回り回って私の元に話が入ってきたのは離婚が成立する3カ月ほど前のことだった。
生まれた子供のことを考えれば、誰もが離婚回避の方法を模索するが、私はどうしたら記事にできるかを考えていた。アンナの計画に沿った有効な方法として考えたのが、「大々的に記事にすればいい」ということだった。父親としての辰夫氏の離婚反対理由に違和感を持ったからだった。関係者の話を再現する。