俳優を10年やって講談の世界に
松鯉師匠が講談の世界を志した頃、人気は正直なところ、下火だった。低迷している中で生涯の仕事と思って飛び込んだのはどういう経緯だったのか。
「前橋の高校を卒業して役者に憧れ、上京して10年間は俳優をやっていました。ひょんなきっかけがあって、俳優で演出家の桑山正一さんがつくった劇団に入団することになりましてね。九州の炭鉱が舞台の旗揚げ公演で、私に浪曲好きの炭鉱夫の役がついたんです。芝居の中で浪曲を歌うのでレコードを聴いて練習したわけですが、その役の評判がよくて演劇雑誌の劇評で褒められまして。あの時は本当にうれしかったですね。でも、その時はまだ寄席の芸人になろうなんてまったく思っていなかった。ところが、ある日、稽古で菊池寛先生の『形』を朗読していたら桑山さんに『クロちゃん(当時の師匠の呼び名)、おまえの朗読は講談だよ』って言われまして。声の質が講談向きだと思ったようだけど、私はなぜだかわからなかった。でも、そんなふうに言われるなら本物の講談を聴いてみなきゃって思った。初めて新宿の末広亭で聴いたのが師匠(2代目神田山陽)の講談でした。その後、講談専門の本牧亭にも行って他の先生方の講談も聴いたりしました。その中で山陽師匠の講談が素人にもわかりやすく、実に明快と思いました。心を打たれましてね、門を叩くことにしたんです」