俳優を10年やって講談の世界に
この時、松鯉師匠、27歳。遅い入門だった。
「入門後にわかったことがあります。師匠山陽と他の師匠との違いです。講談は語り継がれた難しく堅苦しいのが本来のものですが、うちの師匠は従来のものを現代の人にも親しみやすく作り直しました。講談の骨格を崩さず、わかりやすくした。それだけ師匠山陽はインテリで、物事をよく考えていたんでしょうね。ただし、例えば『勧進帳』のようなきちっとまとまったものは講談でも崩せない。そういう制約もあるわけです。落語なら面白おかしく自由にやっていいわけですが」
入門後は語り継がれてきた連続の速記本を書き写し、連続物に力を入れるとともに弟子の育成にも力を注いだ。
令和元年にはその尽力が認められて人間国宝に認定された。 (構成=浦上優)