心震わせる「るろうに剣心」最終章史上初ワンツーの必然
人気は健在
興味深い現象が起きている。「るろうに剣心」シリーズ2部作の1本にして完結作である「るろうに剣心 最終章 The Beginning」(6月4日公開)と、前作「るろうに剣心 最終章 The Final」(4月23日公開)が週末の興行ランキング(6月5、6日の動員累計)で1位、2位を独占したのだ。
興行ランキングで2部作“ワンツーフィニッシュ”は初めてだ。前作「~The Final」は公開当初、東京都と大阪府による映画館への休業要請が重なり、厳しい状況下でのスタートだった。興行収入の目標値は高いものだったが、すでに35億円を超え、2012年公開の1作目「るろうに剣心」(30億7000万円)を上回った。人気は健在であった。
最終章2部作が1、2位を占めた背景には、コロナ禍が影響しているともいえる。一般的な2部作は、最初の作品の公開から1カ月以上経過した後に次の作品の番が回ってくる。間隔が数カ月空く場合もあるが、最初の作品は次作が公開される時点で上映終了間際、あるいは完全終了であることが多い。他の強力な作品も次から次へと公開されるので、前作が集客をキープするのは至難の業となる。
ところが、コロナ禍で延期の作品が相次ぎ、強力な新作がなかなか出てこない。映画館は上映作品の編成に苦慮している。「るろうに剣心」の前作は公開から6週間以上経っているにもかかわらず、新作公開の時点でも473スクリーンで上映された。だから観客は余裕のなかで、両作品を順繰りに見ることができる。
最近でこそ邦画による2部作の公開スタイルは減ったが、少し前は目立ったものだ。2000年以降では、2006年の「デスノート」2部作(累計80億8000万円)の大ヒットが引き金となった。その後、3部作の「20世紀少年」(08年~09年)や2部作の「のだめカンタービレ」(09年~10年)、「るろうに剣心」(14年)などが登場し、ちょっとした連作ブームとなる。いずれも人気コミック原作の実写化作品が主流で多くのコミックファンによる岩盤支持があった。加えて、洋画から邦画に人気が集まり出した時期でもあった。若い観客が邦画に関心を持ち始めたのだ。
■「2粒で4度おいしい」
2部作というとキャラメルで有名なキャッチフレーズをいつも思い出す。「1粒で2度おいしい」というあれだ。2部作の場合、厳密にいえば「2粒で4度おいしい」となるが、要は楽しさが倍増する、いかにも気分を高揚させる言葉なのだ。これは人のワクワク感を刺激する「お祭り気分」にも通じるが、「るろうに剣心」は、そのお祭り気分を引き継いでいる。それは実際に周囲の人たちとはしゃぐのではなく、あくまでマインド的なものであり、この時世においても有効だと考える。五輪・パラリンピックのパブリックビューイングとはまるで意味が違う。
「~The Beginning」が引き付ける魅力
筆者は公開されたばかりの「~The Beginning」を前作以上に面白く見た。佐藤健演じる剣心=抜刀斎の原点を描く。彼の思い、行動の根本にあるのが、世の中を変えたいという衝動だ。大混乱に陥っている幕末の時代、長州の一人の無名の民である抜刀斎が、身につけた剣の技で密やかに世に出て行く。人斬りという役割を長州から与えられるがそれは当然、フィクションとしての体裁、見せ場の主軸をなす。ただそこから感じられるのは世直しへの強烈な思いであり、その思いは一人の女性・巴(有村架純)と関わることで、次第に悲劇的なものに転じていく。彼の中に人斬りへの大きな疑念が生まれるが、人斬りの歩みはある決着点まで行くことになる。
■主人公の内面を知りたくなる
世の中を変えるとは一体何なのか。この疑問に対し、本作は明確な答えを示していない。なぜに人斬りなのか、抜刀斎の内面にある深い部分をもっと知りたくてたまらなくなる。ただ、こうも考える。強烈な思いや行動には何らかの理屈、理論、思想が必要なのだろうか。理論、思想があれば、いずれも正当化されるのだろうか、と。思いの強さ、行動が、まずもって厳然とある。本作は人と世の不可思議さが、剣さばきの苛烈極まるアクション描写の中から次第に忍び寄ってくる。これが面白い。
最終章は2部作と謳っているが、話はつながっておらず、新作では明治から幕末に移り、主人公のまっさらな部分が描かれる。この構成にもワクワクする。2部作の常識をひっくり返したともいえる。
恋愛劇や人の幸せの観点から楽しんでもいいだろう。繰り返すが、どちらから見ても楽しめる「2粒で4度おいしい」作品だ。その味を存分に噛みしめたい。