音楽プロデューサー寺本幸司さんが語る 亡き桑名正博との思い出
寺本幸司さん(音楽プロデューサー/82歳)
浅川マキ、りりィ、桑名正博、イルカらそうそうたるアーティストを手がけた日本ポップス界のプロデューサーの草分けである寺本幸司さん。2012年に亡くなった桑名とのたった一枚の写真だ。
これは確か、1999年に撮ったもので、毎年8月7日の桑名の誕生日に行われていたコンサートの打ち合わせの時だね。プロデューサーというのはあくまでも黒子だと思ってきたから、何十年も付き合いのあった浅川マキやりりィともプライベートで一緒に撮った写真が一枚もない。唯一の例外だ。
桑名をスカウトしたのは音楽工房モス・ファミリィというプロダクションを立ち上げた70年代初めの頃。大阪に「ファニカン」(ファニー・カンパニー)という生きのいいバンドがあるというので、デモテープを聴いたらリードボーカルの歌のノリと歯切れのよさに一発で惚れ込んでしまった。すぐにワーナー・パイオニアのスタジオに会いに行った。するとソファに座っていた長髪の若い男がギターを置いてスッと立ち上がるや、つかつかと歩いてきて「桑名です」と手を差しのべる。戸惑いながら手を握ると笑顔でしっかり握り返してきた。その自然な態度が育ちのよさを感じさせて思わず「こいつ、カッコイイな」とつぶやいたのが第一印象。
後で聞いたら大阪の実家、桑名興業はもとは江戸時代から続く廻船問屋で彼は7代目。大阪南港に7万坪の土地を持っていたというからタダのボンボンじゃない。
「ファニカン」は矢沢永吉の「キャロル」と並び称される実力派バンドだったけど、73年に解散。音楽業界は反戦フォークから荒井由実(松任谷由実)や吉田拓郎のいわゆるニューミュージックにシフトしていた頃だよ。
桑名を売り出そうと下田逸郎や松本隆と組ませてソロデビューさせたはいいけど、鳴かず飛ばず。そんな時、旧知の作曲家・筒美京平が「桑名で日本語ロックを作りたい」と言ってきた。曲を聴いたらメロディーもリズムも「ロックだ」と桑名も大乗り気。それが77年発売の「哀愁トゥナイト」。オリコン20位、テレビの歌番組にも引っ張りだこになった。
桑名の父親から「音楽を続けるなら日本一に…」と言われ
ある日、夜中の1時ごろ、酔っぱらった内田裕也が電話してきて、いきなり「てめえ、桑名を歌謡界に売りやがったな。どこがロックだ! 売れればいいのか。この裏切り者!」と罵られた。「ロックは形じゃなくスピリッツがあればいいんじゃないですか」と言い返したけどね(笑い)。
ところが、その直後に桑名が大麻・コカイン使用で逮捕。桑名の父親・正晴氏から呼び出されて北新地のクラブに行ったら、「これを機に正博を返してくれないか。音楽から足を洗って会社の後継ぎとして大阪に腰を据えて欲しい」と言う。親としては当然だろうと思ったけど、「彼の才能の花が咲くのはこれからです。もう一勝負させてください」と食い下がると「だったら日本一に……」と一言。あとは無言。万感の思いを感じ取った。
桑名が文字通り日本一になるのは、2年後の79年、「セクシャルバイオレット№1」で3週連続オリコン1位の大ヒットとなった時。おやじさんも喜んでいたらしい。
元気な桑名に会ったのは彼が12年に脳幹破裂で倒れる3日前。デビュー40周年記念のアルバムの打ち合わせだった。余命数日といわれながら、それから6カ月も命をつないだのは彼の不屈のロック魂だと思う。
アン・ルイスとの結婚のことは本の中ではほとんど触れなかったけど、裏話をすればこんなことがあった。
結婚する前の年、桑名が話があるというので会ったら、「実はアンと結婚したい。父にも承諾を得ました」と神妙な面持ちで言う。それまで見せたことのない真剣な顔だったから、本気だと思って、「女関係は大丈夫なのか」と聞くと「全部手を切りました」と。それならと筋を通すためにアンの所属事務所の渡辺プロに行って当時副社長の美佐さんに会ったら「うちの大事な娘をどうしてくれるんだ」となかなかいい返事をしない。最後に「私は絶対認めませんからね」と言って立ち上がったので慌てたけど、後で渡辺プロの友人に聞いたら、それは美佐さん一流の言い方で、本当にダメなら相手に有無を言わせない。捨てゼリフめいたのは暗に“認めた”っていう意味だったとか。
この本(「音楽プロデューサーとは何か」)を書き上げて一番思ったのは、彼らはみんな「ちゃんと生きてちゃんと死んだ」ということ。オレも彼らに恥じないように「ちゃんと死ぬために、ちゃんと生きよう」なんて思ってるんだ(笑い)。
(取材・文=山田勝仁)
▽寺本幸司(てらもと・ゆきじ) 1938年東京・月島生まれ。日大芸術学部卒業。俳優・伴淳三郎のマネジャーを経て映画製作会社へ。66年、日本初のインディペンデント・レーベル「アビオン・レコード」設立。浅川マキ、桑名正博、りりィ、イルカ、南正人、下田逸郎らを手掛ける。著書「音楽プロデューサーとは何か 浅川マキ、桑名正博、りりィ、南正人に弔鐘は鳴る」(毎日新聞出版)好評発売中。