桑名正博さんの周りはイイ女だらけだった
2012年10月26日だった。いくら何でも59歳は早過ぎる。大阪に戻って「ゲタバキの音楽をやりたい」と言っていたね。西荻窪(1973年オープン)、荻窪(74年)、下北沢(75年)のロフトで何度もライブをやった桑名正博は、後年「今のオレの原点である弾き語りがロフトにあった」と言っていた。虚飾や無駄をはぶき、心にズバッと突き刺さる桑名節をもっと聴きたかった。
桑名さんは1971年に「ファニー・カンパニー」というバンドを結成し、翌年に「スウィートホーム大阪」でメジャーデビュー。「東のキャロル・西のファニカン」と言われた時期もあった。
ファニカンは2年ほどで解散し、それからギター一本担いで毎月、大阪から東京に出稼ぎにやってきては、ロフトのステージに立ってくれた。
まぁ~モテモテだったね、アイツは。周りはイイ女だらけ。あの頃、女にモテたかったらロッカーになればいい――なんて風潮があったけど、桑名さんは別格だった。とにかく女にモテた。
何度か一緒に飲んだこともある。若くてスタイルが良くてカッコが良くてセンスが良くて人柄も良かった。東京で泊まるところに困ったことなんて一度もなかったはずだ。