<9>私も師匠として幹部の師匠方と披露口上に並んだ時、夢のような感じでした
落語芸術協会に移籍した談幸は、最初から寄席に10日間出られたわけではない。寄席の出番表には載らない「代演」、つまり休んだ落語家の代わりを務めることから始めた。そうした段階を踏んで協会員として認められたのだ。
「立川流で真打ち間近だった吉幸は、1年限定で前座に戻った。他の前座は全員が後輩になります。それでもあいつは嫌な顔しないで、うまく付き合ってたみたいです。もともと演芸オタクなんで、立川流時代には会うこともなかった師匠連や色物の芸人さんに接するのを楽しんでました」
それでも人に言えない苦労はあったろう。その甲斐あって、2016年、吉幸は二つ目に再昇進。そして19年、真打ちに昇進する。5月の披露興行は、新宿末広亭を振り出しに4軒の寄席で行われた。
「私も師匠として、幹部の師匠方と披露口上に並んだ時、夢のような感じでした。生涯戻ることがなかったはずの寄席の高座で、弟子の口上を述べている。想像もしなかったことです。談志の孫弟子が、初めて寄席で披露興行ができた喜びもある。師匠も喜んでくれるんじゃないかと思うと、感慨深かったです」