吉田も岸も…安保条約と日満議定書の皮肉な共通点

あの60年安保闘争とは一体何だったのだろうか。今なお見落とされている視点を私なりに整理しておきたい。
吉田茂首相はなぜ昭和26年9月7日の夕方にサンフランシスコの第8軍司令部で日米安保条約に単独で署名したのか。
「いずれ問題になるだろうから」と呟きながらである。岸…
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