日本の思想の見本市のような空間となった中江丑吉の借家
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中江丑吉の人物像について続けよう。丑吉は北京で表面上は、袁世凱政府の日本人顧問役の有賀長雄の秘書という肩書も持っていた。この点では孫文に肩入れする日本人志士たちとは距離を置いていた。そして満鉄のスタッフにもなっていた。
そういう折に、パリ講和会議で日本の中国での利権が認…
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