私の四十年前から今を見る
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角川春樹さんから「作家の証明書になる作品を」と突然依頼された森村誠一氏
40年前といえば、私は作家デビュー10年目。作家として、ようやく「上り坂」を歩んでいたころでした。まだまだ駆け出しだった自分の家に突然、訪れてきたのが、角川春樹さんです。1974年の11月2日のこと…
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20年無敗の裏プロ雀士 桜井章一氏が語る40年前の歌舞伎町
40年前、ちょうど30歳すぎの頃は会社員をやっていました。といっても、給料はもらってなかったけどね。こっちから「カネはいらない」って入社したんですよ。男が男に惚れるっていうのですかね、ある人に引かれ…
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不破哲三共産党前議長「70年代の自民党は傲慢ではなかった」
40年前というのは、田中、三木、福田内閣と続いた頃で、当時の国会論戦は非常に面白かった。なぜかといえば、政府が真剣だったからです。 例えば、私は74年1月の国会質問で、米原子力潜水艦が寄港す…
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宮崎学氏は「キツネ目の男」と疑われ週刊誌記者時代がアダに
ヤクザの組長の息子として生まれた私は、幼い頃からケンカに明け暮れ、一方で左翼思想に目覚めていきました。学生運動にのめり込み、母親がせっかく学費を工面してくれた早大を中退。フラフラしていた70年秋、ひ…
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村西とおる監督が語る 英会話学校経営からエロ世界への転身
「ウソだろ」と笑われそうですが、70年代の私は教育産業に従事してました。北海道で百科事典を販売してたんです。オックスフォード大の卒業者も読めないような英語の難しい事典ですが、1週間に20セット売ったこ…
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元祖「爆弾男」矢野絢也・元公明党委員長が憂う“政治の惨状”
矢野の衆院初当選は1967年1月の総選挙だ。この時、34歳。驚くべきは当選後、すぐに衆院25人、参院20人を擁する公明党の書記長に抜擢され、国会質問の初陣では与野党がひっくり返る爆弾質問をかましたこ…
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小沢一郎氏「あの頃は国会も自民党もエネルギーがあった」
【小沢一郎(72)・ 生活の党と山本太郎となかまたち代表】 当時のことで印象に残っているのは、ベトナム戦争の終結(1975年4月)と田中内閣の崩壊(74年12月)だね。国会議員の若いので一緒に…