五木寛之 流されゆく日々
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連載11993回 高齢化社会の明日 <4>
(昨日のつづき) 前回の原稿に文字の間違いがありました。 「10円で乗れるバスがある」と書いたのは、昭和人の感覚で、実際は100円です。訂正してお詫びします。 さて、本題の高齢化社会の明日の…
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連載11992回 高齢化社会の明日 <3>
(昨日のつづき) この国が杖をついた高齢者ばかりになってしまうことを、深刻に憂える人がいる。 右を見ても左を見ても老人ばかりという風景は、たしかに索漠たるものだろう。 少数の若い人たちにと…
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連載11991回 高齢化社会の明日 <2>
(昨日のつづき) 長生き、というのは、それはそれで一つの価値かもしれない。その人の知識や経験が、何かの役に立つことがあるとも考えられるからだ。 かつての村の長老たちは、さまざまなかたちで集団に…
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連載11990回 高齢化社会の明日 <1>
一昨日、新聞の取材を受けた。要するにインターヴューなのだが、テーマを向うで決めての取材である。 私は、いわゆる小説家なので、あまり難しいことを聞かれても話が噛みあわない。そもそも常識のある人間な…
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連載11989回 昭和の記憶その断片 <4>
(昨日のつづき) 殴る、という言葉を、最近はほとんど聞かなくなった。 昭和の前期、戦中の時代は、<殴る><殴られる>が日常のことだった。 いまにして思えば、ずいぶん野蛮な時代だったと思う。…
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連載11988回 昭和の記憶その断片 <3>
(昨日のつづき) 敗戦の年、父親の勤務先である平壌師範学校は市の中心部を離れた大同江の対岸にあった。赤煉瓦建ての立派な校舎だった。 私たち一家の住む公舎は、その校庭に隣接した農場の一角にあり、…
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連載11987回 昭和の記憶その断片 <2>
(昨日のつづき) <小学校>という名称が<国民学校>と変るころ、毎朝、校庭では朝礼というものが行われた。 校長や教頭先生の指揮で、全員まず<東方遥拝>からセレモニーが始まる。 東方とはもちろ…
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連載11986回 昭和の記憶その断片 <1>
まとまった昭和を語ることは、私にはできない。 そもそもが時代や歴史を俯瞰的に視る習慣がないからだ。高所から時代を一望することなど、私の体質には合わない。あえていうなら<鳥の目>ではなく、日常生活…
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連載11985回 60年前の文章から <5>
(前回のつづき) 「ヤポーンスコエ・クラビシェ」 と運転手がポツリとつぶやいた。 よく手入れがゆきとどいて、紙くず一つ落ちていない清潔さだ。白い砂を敷きつめた道路が、歩くたびに“サクサク”と…
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連載11984回 60年前の文章から <4>
(昨日のつづき) わたしたちは、ソ連側のインツーリスト(公営旅行社)にたいして、ハバロフスクの日本人墓地訪問の希望を申し出たが、スケジュールにはいっていないからだめだと断わられた。 「なんとかな…
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連載11983回 60年前の文章から <3>
(昨日のつづき) 信藤さんは終戦当時、満州の開原にいた部隊の将校だったという。部隊ごとソ連軍に連行されて、シベリア行きの列車に乗せられた一人である。生まれたばかりの娘さんと、奥さんを残して、信藤さ…
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連載11982回 60年前の文章から <2>
(昨日のつづき) 1965年の8月号の『家の光』に、特別寄稿として<詩人のぶ・ひろし>の文章がのっている。<戦後20年>の特集号だ。 詩人、とはこっ恥ずかしい肩書きだが、当時は作詞者と詩人の区…
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連載11981回 60年前の文章から <1>
先日、月刊誌『家の光』のインターヴューを受けた。 その際、私が若いころ『家の光』誌に書いた文章と、さらに綜合誌『地上』に連載したルポルタージュの数篇をコピーして、持参してくださったのが嬉しかった…
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連載11980回 昭和残影あれこれ <5>
(昨日のつづき) 映画は昭和を回顧する上で絶対に欠かせない世界だろう。 残念ながら私は、いわゆる映画青年ではなかった。映画ファンの一歩手前ぐらいでウロウロしている普通の映画ファンにすぎなかった…
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連載11979回 昭和残影あれこれ <4>
(昨日のつづき) 京城で私が入学した小学校はミサカ小学校といった。三坂なのか、御坂なのか、はたまた美坂なのか、いまははっきり思い出せない。 父が勤務した南大門小学校は、当時の名門校のひとつだっ…
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連載11978回 昭和残影あれこれ <3>
(昨日のつづき) 母が不安がっていたのは、1919年にはじまった三・一独立運動のことである。過去の事件であっても、母親の記憶のなかには、人づてに噂話のように聞いた出来事のことが消えない不安としてき…
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連載11977回 昭和残影あれこれ <2>
(昨日のつづき) <昭和>は2つある。敗戦前の前期昭和と、敗戦後の後期昭和だ。 戦前、戦中と、戦後というふうに3つに分けてもいいだろう。国家主義の時代と、民主主義の時代という分け方もできる。 …
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連載11976回 昭和残影あれこれ <1>
プロとして長く活躍している人は凄いと思う。一時のブームを作ることはできても、それを何十年と続けることは至難の技だからだ。 美輪明宏さんがテレビにでていらっしゃるのを見て、はじめてこの人の歌をきい…
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連載11975回 死を考えた小学生の頃 <5>
(昨日のつづき) 90歳をこえた時期から、死というものをあまり意識しなくなってきた。 これは不思議なことである。死がまもなく訪れてくるのに、死をあまり気にしないで生きている、というのはどういう…
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連載11974回 死を考えた小学生の頃 <4>
(昨日のつづき) <死は前よりしもきたらず> と言ったのは兼好法師だ。 <かねてより後ろに迫れり> ポンと背後から肩を叩かれて、ふり返ると、そこには死が微笑しながら立っている、と彼は言う。…