五木寛之 流されゆく日々
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連載12015回 「昭和」こぼれ話 <6>
(昨日のつづき) 昭和10年代、私が国民学校(小学校)の生徒だったときは、もっぱら剣道をやった。 もちろん柔道もあったが、夏休みなどにも特訓があるのは、もっぱら剣道だった。 父親が剣道の有…
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連載12014回 「昭和」こぼれ話 <5>
(昨日のつづき) 歳末はどんな仕事でもあわただしい。 このところ原稿を書く以外の仕事で忙殺されている。 産経新聞の喜多さんのインタビューでは、『夕刊フジ』の終刊号特集に載る予定と聞いた。 …
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連載12013回 「昭和」こぼれ話 <4>
(昨日のつづき) 戦争の時代に、どんな歌をうたっていたかを考えてみる。 もちろん軍歌が中心だが、国民歌謡というか、戦意高揚歌のような歌も沢山あった。 『愛馬進軍歌』なども、よくうたわれたもの…
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連載12012回 「昭和」こぼれ話 <3>
(昨日のつづき) 大戦前期、まだ本土が空襲で悲惨な有様になる前は国民も暢気なものだった。 少国民と称された当時の子供たちのあいだで流行したのが、軍用飛行機のプラモデルづくりである。 いまで…
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連載12011回 「昭和」こぼれ話 <2>
(昨日のつづき) 昭和という時代を3つに分けて考えることを、以前から主張してきた。 <戦前昭和> <戦中昭和> <戦後昭和> の3期である。 <昭和前期> <昭和中期> <昭和後期…
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連載12010回 「昭和」こぼれ話 <1>
むかし、『戒厳令の夜』という小説を書いたことがある。 第1回目の休筆のあと、再デビュー第1作のつもりで書いた長編だ。 『小説新潮』に連載され、石岡瑛子の異様なイラストも話題になった。渋谷のデパ…
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連載12009回 禍福は糾える縄か <5>
(昨日のつづき) いい事もあるし、悪いこともある。 それが世の中というものだ、と言いたいけれど人生とはそう優しくはない。 運のいい人もいれば、生涯ずっと不運なままの人生もある。残酷なものだ…
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連載12008回 禍福は糾える縄な <4>
(昨日のつづき) 思い返せば、これまでいろんな歌の歌詞を書いてきた。 どれくらいの数になるかは、正確にはわからない。半世紀以上にわたってバラバラに書いてきた歌詞ばかりである。 一時期はレコ…
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連載12007回 禍福は糾える縄か <3>
(昨日のつづき) 私はしごく杜撰な人間なので、いろんなことを調べるということを滅多にしない。 それでも賞をいただいて、ただ喜んでいるだけでは主催者側にも失礼だろうと、送られてきた資料を一読して…
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連載12006回 禍福は糾える縄か <2>
(昨日のつづき) 事務所のコムラくんが電話してきて、 「原稿の依頼なんですけど」 と、申訳なさそうに言う。 「いま、帯状疱疹で大変なんだよ」 「そうですね。でも、文藝春秋のSさんからです…
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連載12005回 禍福は糾える縄か <1>
今年はツイていない年だと、ずっと感じていた。 高齢者は精神面よりも体調に異変が生じやすい、というのは、事実のようだ。 さまざまな不調が五月雨式におそいかかってくるのである。 これまで、か…
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連載12004回 長い旅の途上で <5>
(昨日のつづき) 今日は病院にいってきた。 80代の半ば頃まで、私は病院にいかないことを自分のモットーにしていた。 少々、具合いが悪くても、いかない。ときにはこれで死ぬか、と思ったこともあ…
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連載12003回 長い旅の途上で <4>
(昨日のつづき) <日刊ゲンダイ>は、来年で創刊50年の節目をむかえるらしい。 この変転きわまりない時代に、半世紀というのは、かつての1世紀にも匹敵するのではないかと思う。 むかし、私たちの…
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連載12002回 長い旅の途上で <3>
(昨日のつづき) いま夜の11時。まだ日刊ゲンダイの原稿ができていない。 締切りまで、あと1時間足らず。 汚ない字を原稿用紙に走らせる。 きょうのゲンダイ紙上の<流されゆく日々>の通し…
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連載12000回 長い旅の途上で <1>
きょうは日曜日。私は<地獄の日曜日>と呼んでいる。 週刊誌と日刊ゲンダイ紙の締め切りが重なっている上に、なにか必ず月曜日渡しの原稿がほかにもあるからだ。 それぞれ夜中の12時がタイムリミット…
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連載11999回 新しい本のPR <5> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) 食べものは食ってみよ、人とは会ってみよ、である。 マスコミで創られた有名人のイメージは、大半がフェイクである。そのほうが仕事の上でプラスにはたらくからだ。 私が長年、長嶋…
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連載11997回 新しい本のPR <3> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) ナガシマさん、とカタカナ書きのほうが似合いそうな長嶋茂雄さんは、一般には、すこぶるわかりやすい人、というイメージがあるようだ。 「ピューッときたボールを、ガーンと打ち返せばいい…
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連載11996回 新しい本のPR <2> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) 対談集などというものは、出してもそう売れるものではない。 出すほうの版元でさえもそう思っているのだ。だからあまり積極的に宣伝もしないし、作者のほうでも最初からそれは覚悟してい…
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連載11995回 新しい本のPR <1> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
新しい本が出た。対談集である。私ひとりの本というわけではない。 いうなれば集団製作だ。だから自分の名前ででた本だが、それほど気がねせずにおおっぴらに大宣伝をする。 これは絶対、おもしろい本だ…
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連載11994回 高齢化社会の明日 <5>
(昨日のつづき) 自分がれっきとした高齢者でいながら、どうも高齢者といわれると実感がない。 はっきり老人とか、年寄りとかいわれたほうがピンとくるのは、昭和世代の後遺症だろうか。 問題は老人…