五木寛之 流されゆく日々
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連載11193回 貧しき食生活のなかで <5>
(昨日のつづき) 食に関して不思議に思うことがいくつかある。前に書いた比叡山の千日回峰行の行者の食事についてもそうだが、現代の栄養学で説明のつかない現実が少なからずあるのだ。 たとえば、敗戦後…
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連載11192回 貧しき食生活のなかで <4>
(昨日のつづき) この何十年かのあいだ、ずっと一日2食で通してきた。2食といっても、どこかで多少のつまみ食いをするから、正確には2食半といったところか。 昔は高齢者は淡白な食事をすすめられてい…
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連載11191回 貧しき食生活のなかで <3>
(昨日のつづき) 貧しい食生活のなかで、20代前半は体重50キロ台だった。たぶん痩せて青白い顔をしていたのだろうと思う。 中年になって60キロを超えるようになった。この頃は、一応、人並みの食生…
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連載11190回 貧しき食生活のなかで <2>
(昨日のつづき) 昭和27年に上京して、しばらくホームレス大学生のような日々を過ごした。 知人、友人の部屋に居候させてもらったり、ときには神社の床下にもぐり込んで寝たりしたこともある。 何…
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連載11189回 貧しき食生活のなかで <1>
私に欠けている多くの能力の一つが、食に関する執着である。食は養生にあり、と言う。人間が生きていく上での食べることは、まず最大の条件だろう。 モノを食べることは嫌いではない。しかし、そこに執着とい…
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連載11188回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <5>
(昨日のつづき) むかし噺には「三年寝太郎」というのがある。ごろんと寝そべってばかりいる男が、意外な働きをするというストーリーだが、なんで寝そべっているのかがよくわからない。 民芸にしても、新…
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連載11187回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <4>
(昨日のつづき) 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し と、戦後、街角や炭鉱に歌声がひびき渡ったのは1950年代のことだった。そこでは「起つ」ことが抵抗であり連帯であったのだ。 しかし、その後「…
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連載11186回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <3>
(昨日のつづき) 「余計者」「寝そべり族」の発生は、1960年代の米国にも見られた。いわゆるヒッピー族の登場がそれだ。 60年代アメリカ合衆国で、既存の体制と文化に対するカウンターカルチュアが独…
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連載11185回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <2>
(昨日のつづき) 現代中国の「寝そべり族」にあたる知識人の先駆けは、19世紀ロシアの「余計者」にあるというのは私の勝手な連想にすぎない。 文字どおりステイホームの日々のうちに、私の妄想に浮かん…
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連載11184回 「寝そべり族」と「余計者(オブローモフ)」 <1>
学生のころ、必読書とされている外国の小説の一つに、魯迅(ろじん/ルーシュン)の『阿Q正伝』があった。竹内好の評論が文学青年にもよく読まれていた時代である。中国民衆のひとりである阿Qの皮肉な人生を描く…
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連載11183回 昭和初期の日本人像 <4>
(前回のつづき) 昭和初期によく読まれ、ことに青少年に大きな影響をあたえた作家に、鶴見祐輔がいる。政治家であり、文人でもあった。ディズレーリ伝など何度も読んだ記憶がある。立志伝のような本が何冊もあ…
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連載11182回 昭和初期の日本人像 <3>
(昨日のつづき) あまりピンとこない話のようだが、明治の日清、日露の勝利以来、わが国ではずっと一直線に軍国主義が伸展してきたようなイメージがあるが、これはまちがいだろう。 大正末から昭和初期に…
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連載11181回 昭和初期の日本人像 <2>
(昨日のつづき) ここでいう「昭和初期」とは、昭和がはじまってからの20年、つまり敗戦までのあたりを指す。中期が昭和20年(1945年)から40年あたりまで、そして後期が40年から以後、ということ…
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連載11180回 昭和初期の日本人像 <1>
かなり前の話だが、ある高名な随筆家がどこかでこんなことを書いておられたのを読んだことがある。 〽寄せては返す波の音 という文句はどこからきたのだろう、と疑問を呈されていたのだ。その文句を聞いた…
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連載11179回 コロナの日々は続く <5>
(昨日のつづき) 新型コロナの国内死者の数が、ついに1万4000人に達した。世界の死者、400万人にくらべると微々たるものに感じられるかもしれないが、決して少い数ではない。 加えて小中高生の自…
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連載11178回 コロナの日々は続く <4>
(昨日のつづき) 最近、ものを言うにしても、文章を書くにしても、過剰に気をつかうようになった。 失言が問題になるのは政治家だけではない。なにげないひと言が、批判の嵐にさらされることもある。 …
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連載11177回 コロナの日々は続く <3>
(昨日のつづき) 昨年、コロナが蔓延しはじめた頃に、突然、私の生活のリズムが一変したことは前に書いた。 半世紀以上も続いた夜型の生活パターンが、突如として朝型に激変したのである。 夜、12…
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連載11176回 コロナの日々は続く <2>
(昨日のつづき) 「不要不急」という言葉が、頭の上に厄介なカサのようにのしかかっていて離れない。 考えてみると私たち小説家の仕事は、まさに不要不急のしろものである。 しかし、これが逆に「有要…
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連載11175回 コロナの日々は続く <1>
ステイホームと強制されなくても、もともとステイホームの居職だった。それが不要不急の外出さえも制限されて、ほとんど引きこもり状態の生活が続いている。 最初の予想では、まあ1年ぐらいは我慢するか、と…
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連載11174回 デジタル難民の繰り言 <5>
(昨日のつづき) 私はもともと数字に弱いほうで、中学、高校を通して数学が苦手だった。なぜか幾何だけが成績がよかったのは、理屈を駆使する分野だったからだろう。 「これは大事な数字だ。しっかり憶えて…