五木寛之 流されゆく日々
-
連載11284回 間違いだらけの人生 <1>
自分の書いた文章が活字になるようになってから、何年ぐらいたつのだろう。 高校に入学して、すぐに新聞部を作った。『福島高校新聞』というタブロイド紙である。 「福島高校でね」 と話し出すと、た…
-
連載11283回 十二月八日の記憶 <5>
(昨日のつづき) シベリア出兵は、まことに厄介な戦争だった。その規模の大きさにくらべて、なにか小さな出来事のような印象操作がされているが、それは動員された兵士の数からしても、また軍事予算の面からみ…
-
連載11282回 十二月八日の記憶 <4>
(昨日のつづき) 開戦の頃、自分が子供でなく、一応の知識人だったとしたなら、十二月八日の大本営発表に際して、どんな反応を示しただろうかと思うことがある。 ひょっとしたら、体の芯まで震えるような…
-
連載11281回 十二月八日の記憶 <3>
(昨日のつづき) 開戦の日である十二月八日。 敗戦の日である八月十五日。 どちらが深く記憶に残っているかといえば、私の場合は十二月八日の大本営発表である。終戦のラジオ放送が、いまひとつクリ…
-
連載11280回 十二月八日の記憶 <2>
(昨日のつづき) 昭和十六年十二月八日、私は小学生だった。小学生だったのか国民学校生だったのか、はっきり憶えていない。 入学したときは小学校といっていた。それが、いつのまにか国民学校と名称が変…
-
連載11279回 十二月八日の記憶 <1>
今年の十二月八日も、おだやかに過ぎた。新聞やテレビなどで、日米開戦の日として一応の記事や報道はあったものの、さりげない扱いだった印象がある。 歳月というものは、そういうものなのだ。過ぎ去った日々…
-
連載11278回 高齢者大国の現実 <5>
(昨日のつづき) 少子と高齢化はちがう、一緒に論じてはいけない、という説がある。もっともな意見だが、国民少数化という立場、そして生産労働力の面から考えると、両者を同時に考えることは不自然ではない。…
-
連載11277回 高齢者大国の現実 <4>
(昨日のつづき) 考古学者の網干善教さんは、インドで祇園精舎の発掘調査をやった碩学である。私は『風の王国』という大和を舞台にした小説を書くときに、いろいろ教えていただいたことがきっかけで、その後も…
-
連載11276回 高齢者大国の現実 <3>
(昨日のつづき) 科学的、理論的に物事を考えよ、とは常に言われる言葉だ。 その反対が直感的、情緒的な推論だろう。しかし私は少年時代から数字が苦手で、物事を論理的に思考することが得手でなかった。…
-
連載11275回 高齢者大国の現実 <2>
(昨日のつづき) 前にも書いたが、アフリカのナイジェリアといっても、すぐにはイメージがわかない。 しかし人口2億ちかくときけば驚く。正式名称がナイジェリア連邦共和国。 2020年の調査で、…
-
連載11274回 高齢者大国の現実 <1>
数年前から左脚が痛むようになってきた。歩き回るのが商売の私としては、手と同じように大事な脚である。 戦後70年の私の生活は、2本の脚にかかっていたと言ってもいいだろう。 38度線をこえて、北…
-
連載11273回 「面白半分」こぼれ話 <5>
(昨日のつづき) 新型コロナの蔓延とともに「不要不急」という言葉が、しきりと用いられるようになった。 ふり返ってみると『面白半分』などという雑誌は「不要不急」そのもののマガジンではあった。 …
-
連載11272回 「面白半分」こぼれ話 <4>
(昨日のつづき) 10月13日付けの西日本新聞文化面では、かなり大きなスペースをさいて八女市の『面白半分展』の企画が紹介されていた。 田崎廣助美術館の展示会場では、『面白半分』の雑誌を古書店で…
-
連載11271回 「面白半分」こぼれ話 <3>
(昨日のつづき) 『面白半分』で記憶に残っているのは、いわゆる「四畳半襖の下張裁判」の事件である。 野坂昭如編集長のときに、紙面に掲載された金阜山人の『四畳半襖の下張』が猥褻だとされて、編集者・…
-
連載11270回 「面白半分」こぼれ話 <2>
(昨日のつづき) 本のオビ、通称「腰巻き」は、ふつう5、6センチ幅のベルト状の紙面に短いコピーを印刷したものである。キャッチというか、刺戟的なコピーや、有名人の推薦文や、著者の顔写真などを印刷して…
-
連載11269回 「面白半分」こぼれ話 <1>
先月、10月13日付けの西日本新聞文化面に『面白半分』についてのユニークな記事がのっていた。山下武雄記者の署名記事である。 私の郷里である福岡の八女市にある田崎廣助美術館の片隅で、雑誌『面白半分…
-
連載11268回 小泉文夫さんとの対話 <4>
(昨日のつづき) 小泉さんは優れた旅行家でもあった。アジア各地はもちろん、シルクロードの果てまで音楽の起源をめぐる旅を敢行している。 <「この夏は、まず蒙古へ行きまして」> と、小泉さんは語…
-
連載11267回 小泉文夫さんとの対話 <3>
(昨日のつづき) 今でも思い出す事がある、と小泉さんは愉快そうに話しだした。 芸大の授業に、三波春夫を招いて講義をさせた話である。芸大では日本語の発声法というものをちゃんと教えない。イタリア語…
-
連載11266回 小泉文夫さんとの対話 <2>
(前回のつづき) 私はしゃべることを表現の基本と考えているので、「対談集」を出すときには、かなりエネルギーをかけて作ってきたつもりである。 昭和期に編集した「対談集」の中で、いまも記憶に残って…
-
連載11265回 小泉文夫さんとの対話 <1>
一般に文庫には巻末に「解説」というものがついている。 書店で新しい文庫を手にとると、まずページをめくって「解説」を読むというのがおおかたの読者の習慣だろう。 一般に「解説」は、その作品の付録…