五木寛之 流されゆく日々
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連載11636回 「他力」と「自力」の狭間に <4>
(昨日のつづき) 法然というその坊さんは、抜群に頭のいい人だった。それだけではない。その顔から声にいたるまで、触れ合う人々を魅了するオーラをそなえていたらしい。 一般庶民の共感を集めると同時に…
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連載11635回 「他力」と「自力」の狭間に <3>
(昨日のつづき) 先にあげた平安後期の流行歌謡である今様の話にもどろう。 <海山稼ぐとせしほどに――> という歌詞にでてくる<海山稼ぐ>とは何か。 当時は乱世だった。地震、争乱、旱魃、凶…
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連載11634回 「他力」と「自力」の狭間に <2>
(昨日のつづき) 多少でも日本の仏教に関心のあるかたには説明する必要もない話だが、これまでほとんど仏教のブの字にも縁のなかった一般の人々のためにクドクドと書いている。 私自身、学者でもなければ…
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連載11633回 「他力」と「自力」の狭間に <1>
最近、社会的な問題を論じるときに、しばしば<他力>という言葉が使われるようになった。 「他力の資本主義」 などという記事の見出しも目につく。 しかし、この<他力>という用語は、源信、法然、…
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連載11632回 「マサカ」の時代がきた <5>
(昨日のつづき) 「マサカの時代」の例のひとつとして、ロシアがウクライナに敗れるケースをあげたら、 「そんなのマサカでも何でもないでしょ」 と、若い編集者に笑われた。 「日露戦争のことを考え…
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連載11631回 「マサカ」の時代がきた <4>
(昨日のつづき) ウクライナ情勢に関して言えば、<ロシアが敗れる>という事態もマサカの一つだろう。 その逆はどうか。 いまのウクライナ・サポート陣の体制を見れば、ウクライナがやすやすとロシ…
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連載11630回 「マサカ」の時代がきた <3>
(昨日のつづき) 『マサカの時代』などという本を書くだけあって、私の時代の読みは常にハズレる。 いっそ自分の予測の反対のことを言えばいいんじゃないかと思うくらいだ。 たとえばEV(電気自動車…
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連載11629回 「マサカ」の時代がきた <2>
(昨日のつづき) 今日は雨。 どうやら例年にない早い梅雨入りらしいとテレビのニュースは語っている。おまけに台風までやってきそうな気配。 <生成AI>に関する論調が日ましに増えてきている。新聞…
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連載11628回 「マサカ」の時代がきた <1>
「マサカ!」 と、ショックを受けるような事件が次々とおきている。 銃で警官が射殺されるような犯罪は、海のむこうの話のような気がしていた。 歌舞伎の名門一家の悲劇も、ただ驚くばかりで、真相は…
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連載11627回 90歳の壁の先の風景 <5>
(昨日のつづき) 流刑に処せられた親鸞が、みずから名乗りをあげたのが<禿親鸞>である。 彼が<非僧非俗>を宣言したのは、よく知られている。 私の勝手な推論は、この<禿>の語からはじまる。こ…
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連載11626回 90歳の壁の先の風景 <4>
(昨日のつづき) 最近、<薄毛>という言葉をしばしば目にするようになった。 育毛剤、増毛剤の広告などにも、 <薄毛対策でお悩みのかたに朗報!> などと大きな文字が躍っている。 私は最…
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連載11625回 90歳の壁の先の風景 <3>
(昨日のつづき) しかし、なんといっても90歳をこえて仰天したのは、頭の髪の毛がバサバサと抜けはじめたことだった。 私は若い頃から頭を洗わないのが自慢のタネだった。毛量はたっぷりあったし、べつ…
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連載11624回 90歳の先の風景 <2>
(昨日のつづき) <90歳の壁>という表現は、まだない。せいぜいが<60歳の壁><70歳の壁>、思いきって、<80歳の壁>ぐらいのものだ。 不肖、私は昨年の秋、<90歳の壁>を超えた。超えた、と…
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連載11623回 90歳の壁の先の風景 <1>
黒井千次さんの『老いのゆくえ』(中公新書二五四八)という本を読んだ。 私は年寄りの書いた本を読むのは、あまり好きではない。自分より年下の人が書いた老人本となるとなおさらである。 そんな私が黒…
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連載11622回 随筆と雑文の間に ─新刊「新・地図のない旅」について─ <5>
(昨日のつづき) 一時期、書くものの内容に応じて、原稿の文字を変えてみたことがあった。 小説、評論、雑文、その他、それぞれ字体を変えて書いてみたのだ。 小説はフラット、エッセイは右上り、雑…
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連載11621回 随筆と雑文の間に ─新刊「新・地図のない旅」について─ <4>
(昨日のつづき) こんどのエッセイ集の見本本を眺めて、ある編集者が、 「五木さんは旅の随筆が多いですね。『にっぽん漂流』とか、『百寺巡礼』とか。こんどの本で旅モノは何冊目ですか」 と、きかれ…
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連載11620回 随筆と雑文の間に ─新刊「新・地図のない旅」について─ <3>
(昨日のつづき) 私は自分を航海者とは思っていない。 航海者には海図があるはずだ。星座を見て位置を測定する技術もある。漂流者には、それがない。潮の流れと風向き次第で、どこへ流れつくか予測するこ…
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連載11619回 随筆と雑文の間に ─新刊「新・地図のない旅」について─ <2>
(昨日のつづき) 私の生涯は、ほとんど旅の連続であると言っていいだろう。 それも<地図のない旅>である。 <地図のない旅>とは、計画どおりにはいかない偶然の旅、不可抗力の旅、ということだ。 …
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連載11618回 随筆と雑文の間に ─新刊「新・地図のない旅」について─ <1>
エッセイというには気品がないし、随筆というには教養に欠ける。 そういう短い文章を半世紀以上ずっと書き続けてきた。まあ、言ってみれば雑文である。 とるにたらない日常の些事から、日頃の不平不満ま…
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連載11617回 深夜の時代の終り <5>
(昨日のつづき) 昔、『夜のドンキホーテ』という小説を書いたことがあった。 老人がバイクをぶっ飛ばして深夜に疾走する話である。 私は60代半ばでクルマの運転をリタイアしたが、気持ちはその老…