私だけが知っている「笑点」のヒミツ
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<第10回>メンバーの若返りが叶えば“70周年”も夢じゃない
「笑点」の人気の秘密はチームワークとスタッフワークの良さにあると思う。たとえば、歌丸と小円遊の不仲が売り物になってから、メンバー同士が対立する手法がよく使われた。近年では三遊亭小遊三と林家たい平の出身…
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<第9回>小遊三が加わり番組はいよいよベストメンバーに
司会の円楽はその日の気分で座布団を与えたり取り上げたりした。メンバーに突っ込まれると、「ガハハハ……」と高笑いしてごまかす。大物然とした円楽だから、それが面白かった。 司会を務めている間に苦…
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<第8回>ショートリリーフのつもりが番組史上最長・最高に
1982年12月8日、今度は司会の三波が52歳の若さで急死した。12年務めた名司会者を失ったのだから、番組の危機といっていい。年内に収録する正月特番の司会は急きょ愛川欽也が務め、局側は後任に円楽を復…
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<第7回>超人気番組になったおかげで苦しんだメンバーも
円楽、歌丸、小円遊、木久蔵に次ぐ第五の男ともいうべき林家こん平は、以前と同様に新潟出身の田舎者であることを売りにした。自己紹介の際、「越後といえば田中角栄、三波春夫、林家こん平でーす」と郷土色を前面…
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<第6回>鞍馬天狗の木久蔵が定着し“キクちゃん”となるまで
円楽、歌丸、小円遊が人気を得るのを脇目に、木久蔵(現・木久扇)は新しいキャラクター作りに悩んでいた。与太郎キャラだけでは物足りないと。そんな時、NHKで放送された高橋英樹主演の時代劇ドラマ「鞍馬天狗…
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<第5回>まず先代円楽が「星の王子さま」で人気者になって
三波伸介司会の新体制になって、大喜利のメンバーはそれぞれのキャラクターを設定し直した。当初は落語に登場する長屋の住人になぞらえ、司会の三波は大家さん、歌丸が小言幸兵衛、小円遊がキザな若旦那、円楽が物…
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<第4回>見事な“臨時司会”が三波伸介の就任につながった
1970年当時は現在ほど交通機関が発達しておらず、売れっ子タレントの移動の大変さは現在の比ではなかった。2代目司会者のマエタケこと前田武彦は「夜のヒットスタジオ」の生放送を終えた翌朝、「笑点」の地方…
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<第3回>スポンサーがお色気路線に苦言でメンバー全員降板
談志は「笑点」になってからも「金曜夜席」同様、大人向けの笑いを回答者に求めた。すなわち、お色気とブラックユーモアである。 番組が始まって3年目の1969年になると、スタッフとスポンサーが「そ…
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<第2回>大喜利はメンバーも問題もすべて談志が作っていた
「笑点」の前身は1965年に始まった金曜夜10時半からの「金曜夜席」である。談志の企画で、「ウイットに富んだ大人の笑いをお茶の間に提供したい」という意図であった。大喜利という形式は、複数の若手落語家が…
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<第1回>談志は晩年「俺はとんでもないものを作った」と
「笑点」は日本テレビが誇る高視聴率の長寿番組である。裏で相撲中継がある時こそ下がるものの、それ以外は20%前後の数字を取る。新司会者が発表された5月22日の放送では27.1%、新メンバーが発表された同…