談志没後5年 立川談笑大いに語る
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<第10回>絶妙なバランス感覚で演じ分ける談志のDNA
談志の命日11月21日に合わせ、「談志の遺言」(宝島社)という単行本が発売された。これまで談志が著作の中で記してきた名言を集めた語録である。その選別を談笑が務めた。私も監修者として名を連ねている。人…
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<第9回>一番弟子に与えた課題はブログとツイッター開設
2010年、談笑に初めての弟子が入門した。京都教育大学を出た26歳の青年で、吉笑という芸名をつけた。 「他人の人生を引き受けたわけですから、これで落語家をやめられなくなったと思いました。心のど…
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<第8回>談志から禁じられた改作落語「シャブ浜」の内容
談笑の改作落語で、一席だけ談志に許されなかったネタがある。それは談志の十八番、人情噺「芝浜」の改作「シャブ浜」だ。飲んだくれの魚屋が芝の浜で42両入った財布を拾う噺を、覚醜剤中毒のトレーラーの運転手…
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<第7回>真打披露パーティーに談志の等身大パネルを設置
談笑の真打ち披露パーティーに談志が出ないと言い出した。そこで談笑はテレビ局に頼み、紋付き羽織袴姿で立っている談志の写真を引き伸ばし、等身大のパネルを作ってもらった。 「もし師匠が来なかったら、…
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<第6回>真打ち昇進試験を「北風と太陽」に例えて…
立川談志は二つ目の頃からマスコミで売れた芸人だけあって、テレビに出る効果をよく承知していた。だから「ガッテン!」の志の輔しかり、談笑が「とくダネ!」のリポーターを務めることも喜んだ。しかし、テレビに…
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<第5回>ホームレスのインタビューが強烈な思い出に
ワイドショーのリポーターをやるきっかけはオーディションだった。二つ目になって間もなく、フジテレビの「おはよう!ナイスデイ」でリポーターの一般公募があった。談笑はそのオーディションを受け、1000人を…
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<第4回>談志も認めた改作落語 スペイン語版「ガマの油」
二つ目に昇進した談笑はNHK新人落語コンクールに出場した。予選を勝ち抜き、テレビ放送される本選に臨んだ。演目は「金明竹」。書画骨董を扱う道具屋に店主が留守中、大阪弁の男が訪れ、用件をペラペラとまくし…
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<第3回>二つ目昇進で生かされた元予備校教師のリサーチ力
入門した際、談志にこう言われた。「目の前に居る師匠の俺を喜ばせられなくて、見ず知らずの客を喜ばせられるか」と。 そこで前座たちは懸命に師匠を喜ばせようとするが、なかなか難しい。 「北朝…
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<第2回>あっけなく入門を許されたのは早大出身が効いた?
談志の弟子は師匠の死に目に会っていない。知らされた時にはすでに骨になっていたからだ。談笑はこう言って笑う。 「すぐに焼いちゃうなんて、関西のうなぎじゃないんだから。関東なら焼く前に蒸すでしょう…
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<第1回>亡くなって1年は気が張っていたが2年目になって…
立川談志が没して5年。毎年命日の11月21日前後に「談志まつり」が有楽町のよみうりホールで催される。今年は生誕80年記念とあって、3公演とも大入りだった。 談志は生前、愛弟子の談笑について、…