異邦人
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連載小説<20> オックがありがとうと日本語で呟いた
「違いますか。あそこの部屋にいるおばあちゃんのことが心配になって……」 クエットはそう言いながらトイレの窓から見た光景を思い出した。 その後現れた娘はベッドで寝ている母親に対して暴力をふるって…
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連載小説<19> トイレの窓から隣家の老女が見えた
「トイレを貸してもらえますか」 女性に代金を支払いながらクエットは言った。 「あっち」 クエットは釣りを受け取ると女性が指さしたほうに向かった。ドアを開けてトイレに入る。壁に小さな窓があった…
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連載小説<18> オックは故郷に帰りたかったに違いない
桜なんか見たくもない── オックが言ったというチャンの言葉を思い出しながらピンク色の看板を見つめた。 看板には桜の花びらをあしらった絵が描かれている。 「でも、もしここで働いていたんだとし…
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連載小説<17> 事件現場の隣は売春店の噂
「ぼくも日本に来たばかりのころは、きれいな花だなと思って好きでした。でも、日本での生活を続けていくうちにあまり好きではなくなりました」 「どうして?」夏目が訊いた。 「どうしてでしょうね。うまく言…
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連載小説<16> 仕送りが足りず彼女は空き巣を働いたのか
「おばあちゃんのことがあって、オックさんはたくさんお金を送らなきゃいけなかったんだね」 夏目が言うと、唇を噛み締めながらチャンが頷いた。 「そう。食べないで、お金送ってた。どんどん痩せていって、…
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連載小説<15>オック容疑者に届いていた故郷からの手紙
「ケイサツ?」 自分と同世代に思える男性が怪訝な眼差しをこちらに向けて訊いた。 「グェン・ヴァン・チャンさん?」 夏目が訊くと、男性が頷いた。 「同じバイトをしているファン・ジェイ・オック…
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連載小説<14> クエットは新聞奨学生として来日
日本に行きたい。日本こそが自分にとっての理想郷にちがいない。そう思ってからは朝も昼も夜も夜中も仕事を掛け持ちして金を貯め、日本語学校に通った。 「その校長のつてで五年前に新聞奨学生としてやっと日本…
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連載小説<13> 留学生とは日本に学びに来る人のこと
喫茶店の前でフーンを見送ると、夏目がこちらに目を向けた。 「これからオックさんがやっていたバイト先に行くつもりですが、まだ付き合ってもらえますか」 「乗り掛かった舟ですから」 「難しい言葉を知…
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連載小説<12> ベトナムで見た夢は日本では叶わなかった
「ぼくたち日本人にすれば、そう思ってもらえることはとても光栄なことだけど。一年半生活した今でもそう思っていますか?」 夏目の問いかけに、フーンが黙り込んだ。 そのまましばらく待っているうちに、…
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連載小説<11> 出稼ぎ外国人にとって日本は憧れの国
先ほどの女性が喫茶店に入ってきた。 隣にいた夏目が軽く手を上げると、女性が気づいたようでこちらの席に向かってくる。 「おまたせ、しました」 女性がたどたどしい口調で言って、クエットたちの向…
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連載小説<10> 写真に写る容疑者オックはまるで別人
「そんなにぎやかな場所で空き巣に入ったことに疑問を持っているんですか」クエットは訊いた。 「それもありますが……被害に遭った娘さんは居酒屋に飲みに行こうと家を出て、財布を忘れたことに気づいて戻ったと…
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連載小説<9> 容疑者オックはなぜ手袋をしなかったのか
「オックさんの同級生に話を聞きたいと思ってここに来たんですけど、ベトナムのかたの授業は夜からだそうで。この近くに学校の寮があるんですけど、あいにくベトナム語ができる講師のかたは今いないとのことで」 …
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連載小説<8> 雇う側にとって外国人は単なる手足
「制服は家に置いてるみたいだな。郵送でいいから洗濯して店に送ってくれ」 「わかりました……」 クエットはそれ以上何も言う気になれず、封筒を受け取った。店長に頭を下げ、事務所を出ていく。 店の…
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連載小説<7> 言い訳はいい。今日でクビだ
「取り調べは何日かやるんじゃないんですか?」 意外に思って訊くと、オオガキが面倒くさそうに口を開いた。 「証拠も揃ってるし、本人の自供もとれてる。あとは検察官に任せりゃいいだろう。おととい発生し…
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連載小説<6> 容疑者オックは無言で罪を認めた
「何だって?」オオガキがこちらに目を向けて訊いた。 「窓から……と言いました」 「どこから入ったかじゃなくて、どうして入ったのかを訊いてるんだ!」 オオガキの怒声に、オックの肩が震えた。 「…
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連載小説<5> 容疑者はなぜ錦糸町にいたのか
夏目がやってきて、自分の前に紙とペンを置いた。 「長くなると思うので、紙に書いてから訳したほうがいいでしょう」 「ありがとうございます」 クエットは夏目に礼を言ってペンを握った。オオガキの言…
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連載小説<4> 通訳する相手は同胞ベトナム人女性
「遅いんだよ! 二時にここに来るよう言われてただろう」 顔を合わすなり、オオガキに怒鳴られた。 「すみません」 何とかバイトの穴埋めを頼もうとキョウコに連絡を取り続けているうちに、二十分ほど…
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連載小説<3> 留学生クエットの日本語能力は最高レベル
「ただいま係の者がまいりますので、そちらでお待ちください」 受話器を置いた女性に言われ、クエットは近くにあるベンチに向かった。ベンチに座ると、物珍しさにあたりを見回した。来日して五年以上経つが、警…
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連載小説<2> 留学生のバイトは穴埋め要員
「ごめんなさい。早く連絡しなきゃいけないと思って」 クエットが言い訳すると、「それで何の用?」と店長が訊いてきた。 「あの……今日のバイトを休ませてほしいんですが」 「はあ!?」 「学校で大…
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連載小説<1> 錦糸警察署からすぐ来いと電話が…
トイレを出て部屋に向かっていると、壁越しにスマホの着信音が聞こえた。 ホー・ヴァン・クエットは慌ててドアにかけたダイヤル式の南京錠を外し、部屋に入った。すぐにテーブルの上に置いたスマホをつかむ。…