現役最年長92歳 桂米丸大いに語る
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23年務めた会長職を勇退 「役員会が終わってホッとした」
平成4(1992)年、米丸は紫綬褒章を受章する。 「この時、初めてあたし個人のパーティーを開きました。山藤章二さんに似顔絵を描いていただき、それを手拭いに染め抜いて皆さんにお配りしました。山藤…
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自宅に寄席創設「永先生のような方の援助で続けられた」
昭和59(1984)年8月、鈴本演芸場と絶縁した落語芸術協会は3カ月後、JR御徒町駅前の吉池デパート7階に寄席をつくり、単独興行をすると発表した。 「吉池デパートの社長さんが、『うちの7階を使…
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鈴本演芸場事件 「あたしの家を出たその足で移籍の相談」
都内の寄席は落語協会と落語芸術協会が10日ごとに交互で興行する習わしだ。ところが昭和59(1984)年、鈴本演芸場の席亭から「両協会の観客動員に開きがありすぎるので、芸協の興行に限り、てこ入れ策とし…
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米丸門下の米助と小遊三、竹丸、昇太と「新星」が現れた
落語芸術協会会長としての課題は、寄席に客を呼べる若手の人気落語家を育てることだった。就任以来なかなか育たなかったが、ようやく新星が現れた。米丸の弟子の米助と三遊亭小遊三の2人である。 「昭和5…
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51歳で落語芸術協会の会長に 「まさか23年もやるなんて」
昭和51(1976)年12月10日、米丸の師匠、5代目古今亭今輔が亡くなった。6代目春風亭柳橋の後を引き継ぎ、日本芸術協会(52年に社団法人落語芸術協会と改める)の会長に就任して2年9カ月後のことで…
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道を歩いていると子供が「あ、タンメンのおじさんだ」
昭和30年代の落語界は古典落語至上主義の評論家が発言力があり、新作落語は「邪道」として認めなかった。久保田万太郎、安藤鶴夫といった偉い先生方である。東横落語会などのホール落語の出演者を選定するのは彼…
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入門3年目で真打ち出世 ラジオの開局ラッシュも重なり…
昭和24年4月、米丸は真打ちに昇進した。なんと入門3年のスピード出世である。当時の新聞に「落語界に新風! 大抜擢」と書き立てられた。 「いくら落語家の数が少ない時代とはいっても、異例中の異例で…
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現役最年長92歳 「人工知能やドローンもネタにしたい」
桂米丸は1925(大正14)年生まれの92歳。現役最年長の落語家である。落語芸術協会会長を23年間務め、現在は最高顧問。今も月に10日は寄席に出演し、入門以来演じ続けた新作落語を高座にかけている。 …