立川志らく 大いに語る
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存在感ではかないっこない ならば芸の部分で追い越したい
談志の「志」と「芸」と「思想」を受け継いだ志らくが、なんと家まで継いだ。練馬区大泉の談志宅を遺族が改築したのを志らくが借りている。 「引っ越して1週間で慣れて、昔から住んでるような気になりまし…
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<9>落語家の師弟は価値観が共有できなければ意味がない
志らくの弟子は現在、見習を含めて20人。立川流の中では最も多い。談志の直弟子は21人だったので、数の上では追い越しそうだ。 「師匠は来る者拒まずで弟子にしてましたから、自分も同じように取ってた…
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<8>師匠の不満「どうして志らくはスターにならないんだ」
今月27日から29日の独演会で、志らくはひとり芝居と談志十八番の「芝浜」を演じる。 「別に師匠から継承したわけじゃありませんが、師匠が毎年変えて演じたように、私も意図的に変えてます。そうしない…
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<7>「正蔵兄さんとからむシーンがあるそうです」と聞いて
自主製作の映画の不評で落語家としての信用さえ失いかけた。初めて味わう挫折感だったが、志らくはめげない。改めて演出の勉強をするため劇団をつくった。劇団“下町ダニーローズ”を主宰して旗揚げ公演を行う。 …
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<6> 「これから談春を呼び捨てにしてもいい」と言われた
談志が存命の頃の立川流は真打ち試験があった。1995年、志らくは国立演芸場で「真打トライアルの会」を開き、談志同席のもと、公開試験の形で挑んだ。 「その前に師匠から『真打ちにならねえのか』と言…
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<5>映画と落語のコラボ 試行錯誤の上に出来たヒット作
二つ目になって8年の歳月が流れた。落語界では「面白い若手」という評価を得ていたものの、志らくとしては物足りなさを感じた。そこで新たな試みとして挑んだのが映画と落語のコラボレーション、「シネマ落語」で…
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<4>「落語聞きたくない人は来なくていいです」と言ったら
1988年、志らくの二つ目昇進披露パーティーは談春ら兄弟子3人と合同であった。余興として4人が当時のアイドル、光GENJIの扮装で、ローラースケートで会場をすべりながら歌った。 「光GENJI…
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<3>「明日から魚河岸に行け」と言われ「嫌です」と返答
志らくの修業時代はどうだったのか。 「楽屋仕事ができない前座で、師匠をしくじってばかりいました。当時の前座は修業の一環という名目で、全員が築地の魚河岸内の商店で働かされてました。談春兄さんもシ…
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<2>“志らく”の由来は談志がパリで会ったシラク市長から
1982年、日大芸術学部に入学した新間一弘(本名)青年は金原亭馬生(先代)の大ファンだったが、その年に馬生が亡くなってしまう。葬儀に参列した帰り道、池袋演芸場に立ち寄ったら談志が出ていた。 「…
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<1>ダウンタウンの番組に出るなんて前は考えられなかった
立川談志が亡くなって6年、11月21日の命日が七回忌である。一門の中で談志のDNAを最も濃く受け継いだのは立川志らくと言われる。以前から落語の評価は高かったが、近年は昼のワイドショー「ひるおび!」(…