<2>“志らく”の由来は談志がパリで会ったシラク市長から
1982年、日大芸術学部に入学した新間一弘(本名)青年は金原亭馬生(先代)の大ファンだったが、その年に馬生が亡くなってしまう。葬儀に参列した帰り道、池袋演芸場に立ち寄ったら談志が出ていた。
「なんとも運命的な出会いでした。師匠は落語をやらずに馬生師匠の思い出だけを語った。…
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