保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(11)「玉砕戦術」は軍官僚の責任逃れであった
なぜこれほどの「玉砕戦術」を選択したのだろうか。その理由を確認していくと、すぐに幾つかの理由が挙げられる。しかしより重要なのは、ただ一点に絞られることだ。それは、「軍官僚の責任逃れ」という一事である…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(10)太平洋戦争の多くが日本の「敗戦」だった
実際には戦争という状態なのに、事変という言葉で事態を糊塗するから奇妙な造語がはびこるようになる。すでに述べたように「暴支膺懲」などはその一例だが、これまで説明してきたように戦時用語の類いもその流れで…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(9)「事変」という誤魔化し
満州事変、支那事変など、日本は戦争と呼ばずに、「事変」という語を用いた。実質的には戦争状態なのになぜと首をかしげたくなる。よく調べていくと、3点の理由が挙げられる。そのことを説明しておきたい。それが…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(8)「玉砕」と「事変」
戦時用語の第2弾となるのだが、「玉砕」という単語について考えてみたい。戦時下でこの言葉は、「特攻」という語とともに最も頻度の高い用語であった。砕け散って玉と散る、というのが本来の意味であろうが、戦時…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(7)「武士道」を忘れた軽薄な陸軍教育
日中戦争の渦中で、日本軍兵士は極めて矛盾した行動をとっている。ひとつは、中国に対して侮った態度をとったこと。もうひとつは、故郷での「武運長久」の圧力や期待に応えようと必死であったこと。前者はいわゆる…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(6)「りっぱな戦死とえがおの母親」
戦時用語としての「非国民」が突破口になり、日中戦争が持久戦争になっていくのに比例して、用語は次第にスローガンへと変わっていった。前回紹介したように、ヒトラーがナチス用語を作って国民をファシズム体制に…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(5)戦時用語はなぜ生まれたのか
「非国民」という戦時用語を分析していくと、すぐに幾つかのことに気がつく。この言葉が頻繁に使われるようになったのは、昭和12(1937)年の盧溝橋事件に端を発した日中戦争以後である。軍部は「聖戦完遂」を…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(4)八路軍になった「非国民兵士」
非国民という語は、実は日中戦争の戦場でもしばしば用いられた。これに対峙するのは、臣民という言葉になるのだろうが、戦場では2つの局面で用いられたと言ってもよいであろう。ひとつは、「勇気のない兵士」への…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(3)祈る姿は愛国者、心の中は非国民
「非国民」とか「売国奴」、さらには「第五列(注・軍隊では四列縦隊が一般的だが、第五列とはスパイのことを指す)」などという語は、戦争に入る前に最も叫ばれる慣用語である。こんな言葉が社会に浮上してくるなら…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(2)「非国民」
「非国民」という語で、昭和10年代を見ていくと、さまざまな光景が浮かんでくる。昭和10年代は、近代日本の終末期にあたるということもできるのだが、それは昭和12(1937)年7月の盧溝橋事件を皮切りに始…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(1)死語同然になった言葉が持っていた暴力性
まもなく「昭和100年」、あるいは「戦後80年」の節目の年がやってくる。過去を振り返るばかりでは、私たちの気持ちも萎えていくことになるのだが、さりとて新しい年を楽観視しているわけにはいかない。ロシア…
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「きけわだつみのこえ」(最終回)わだつみ会に対する学徒兵遺族の怒り
学徒兵が虚構の構造で、BC級戦犯裁判により絞首刑の判決を受けるというのはまさに不条理である。京大生の木村久夫のケースを見ていくと、日本軍の高級軍人の責任逃れの構造だけでなく、戦時指導の反国民的立場さ…
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「きけわだつみのこえ」(11)ベストセラーの背後を見よ
木村久夫が駐屯していたのはインド洋のアンダマン・ニコバル諸島のひとつであるカーニコバル島で、日本軍民生部で一兵士として戦時下を過ごしていた。英語が堪能だったために通訳としての役割も負っていた。もとも…
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「きけわだつみのこえ」(10)「今、私は世界人類の気晴らしの一つとして死んでいく」
木村久夫が書き残した遺稿の内容を、まず紹介するが、その中には日本軍の本質がいくつも見えている。戦後社会で、「きけわだつみのこえ」がベストセラーになるゆえんは、この本質への共鳴があったとみることも可能…
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「きけわだつみのこえ」(9)特攻という不条理を克服しようとした
まず木村久夫はどのような罪に問われたのか。それを明らかにする前に、木村の残した遺書の中には、自らへ罪がなすりつけられたことへの怒り、その不条理を受け入れて死と向き合う姿、そして次の時代の者へ託する教…
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「きけわだつみのこえ」(8)シンガポールで処刑された京大生兵士
「きけわだつみのこえ」が、戦後社会のベストセラーになった理由は、すぐに幾つか指摘できる。しかし真の背景は、単純な怒りとか戦争の残酷さという次元の問題ではなく、軍事国家を担う軍事指導者たちの人間観にある…
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「きけわだつみのこえ」(7)讃美歌を口ずさみながら米軍艦に突っ込んだ特攻隊員
確かに林市造は、遺稿(「きけわだつみのこえ」に収録)の中には、それをうかがわせる表現がある。「私はこのごろ毎日聖書を読んでいます。読んでいると、お母さんの近くにいる気持がするからです。私は聖書と賛美…
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「きけわだつみのこえ」(6)「平成」に入って出会った元学徒兵たち
市民講座やカルチャーセンターでの昭和史に関する講座は、平成に入ったある時期から意識的に増やしていった。戦場体験者が少なくなっていくときに、その世代が講座を受講してくれることを期待していたからだ。実際…
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「きけわだつみのこえ」(5)エリート軍人の発言に私は絶句した
学徒兵が特攻隊の一員として、アメリカの艦艇に体当たりしていくことを、昭和史の中に位置づけるとどのようなことが言えるのであろうか。軍事指導者の戦争観がいかに曖昧かつ杜撰であったかを裏付けることになる。…
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「きけわだつみのこえ」(4)徴兵された大正世代学徒兵の不運
あえて「きけわだつみのこえ」というベストセラーを論じる時に、大正10年前後生まれの学徒兵の中にわだかまっている不信感、あるいは怨嗟のまなざしについて語っておきたいと思う。学徒兵に限らず、太平洋戦争で…