芸能界と格闘技界 その深淵
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角田信朗引退試合に武蔵を指名「1Rから全力で。角ちゃんに失礼だよ」
2003年5月2日、通算7回目となるK-1ラスベガス大会が行われた。川又誠矢の姿もあった。前年までは石井和義と一緒にベガスまで飛んでいたが、石井不在のこのときは一人で現地のプロモーターに会うなど、精…
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双方が“言った言わない”で大揉め「石井館長はいつも約束を守らない」
収監前の石井和義から「協力する」という言質を得て、独自の格闘技イベントを開くために奔走していた川又誠矢のことを、石井和義本人はこの時期どう見ていたのか、直接聞いてみた。 「いいんじゃないですか…
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「秋元康が格闘技をプロデュース」という噂はK-1でもPRIDEでもなく「DNA」だった
芸能プロダクションを経営しながら、K-1の興行に携わっていた川又誠矢が自分の手で格闘技イベントを開こうと考えたのは、K-1ラスベガス大会の観戦がきっかけだったという。 米ラスベガスといえば一…
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「DNA」の企画書の「スペシャルマッチ」欄には「吉田秀彦対ミルコ」とあった
筆者は川又誠矢から企画書一式を手渡された。表紙には「DNA」(写真)とあった。これがイベントのタイトルだという。 世に出回る多くの企画書がそうであるように1枚目には「開催主旨」があり、M1(…
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「近いうちに自分は収監される。その間K-1をお願いします」と言った石井館長
芸能プロダクションを経営しながら、K-1の興行に関わってきた川又誠矢の元に、K-1海外担当の今井賢一が姿を見せたのは、2003年初頭のことだという。 石井和義の逮捕が噂されていたこの時期、司…
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ミルコの代理人は言った「石井館長からお金を受け取ったことは一度もない。ただ…」
ボブ・サップを破って格闘技界の中心人物となったミルコ・クロコップ。その代理人である川又誠矢がK-1に関わるようになったのは、上京間もない1997年、共通の知人に紹介された石井和義に仕事を依頼されたこ…
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顔面パンチを受けたボブ・サップの顔は「痛いよー」と訴えていた
2003年3月30日。超満員2万2000人をのみ込んだ、さいたまスーパーアリーナに2人のファイターが現れた。赤コーナー、ボブ・サップ。青コーナー、ミルコ・クロコップ。映像を見ながら思うことだが、試合…
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ボブ・サップの“公開”プロポーズ「沙知絵に初めて会った瞬間、体に電流が走ったんだよ」
「ボブ・サップ対ミルコ・クロコップ」が行われる2日前の2003年3月28日発売の「週刊ポスト」(2003年4月4日号)に《ボブ・サップ 女優の原沙知絵に誌上プロポーズ》という対談記事が載った。 …
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“CMタレント”と化したボブ・サップはミルコ戦を前に、普段の威勢の良さは影を潜めた
二転三転しながらも、K-1プロデューサーの谷川貞治は、ミルコ・クロコップ代理人の川又誠矢と正式に試合出場契約を結んだことで、3月30日、さいたまスーパーアリーナ「ボブ・サップ対ミルコ・クロコップ」は…
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これまで無私の“K-1愛”を貫いてきた今井賢一の感情が“K-1憎し”に…
設立当初こそ、日本人エースである佐竹雅昭を擁して旗揚げしたK-1だったが、次第に外国人ファイターが主流となっていったのは周知のことである。ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、アンディ・フグ、マイ…
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ミルコの代理人は意外にも「分かりました」と折れた…谷川はキツネにつままれた気がした
かねて、格闘技マスコミから得る噂の類い、インターネットの書き込みなどを側聞するに、「川又誠矢はK-1を乗っ取りたかった」「K-1を手中に収めたかった」といった見方は根強くある。今もそう信じている記者…
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K-1海外担当からの報告「ミルコサイドが法外なギャランティーを要求してきそう」
芸能プロダクションを経営しながら、外部委託のような形でK-1の興行の暗部に携わってきた川又誠矢が、突如ミルコ・クロコップのマネジメントを請け負うことになったことは、K-1新プロデューサーの谷川貞治に…
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中森明菜のマネジメント、ジャニーズ事務所のトラブル解決も担当した人物とは
川又誠矢は1967年、広島に生まれた。幼少期に香川に移住、少年時代は野球に明け暮れ、中学のときには名前が知れ渡っていた。 中3の夏休みに、高知の明徳高、徳島の池田高、香川の尽誠学園と3つの強…
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筆者にとって謎の人物は言った「そろそろ本当のことを話してもいいと思う気になったわけ」
昨秋のことである。「2003年の大晦日格闘技」をテーマに連載を始めるにあたって、筆者は3人に取材依頼の手紙を出した。 石井和義、榊原信行、川又誠矢の3人である。 数日経って石井和義か…
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K-1新プロデューサーの谷川貞治は拘置所の石井館長に手紙で業務報告をするしかなかった
2003年2月3日に法人税法違反で逮捕された石井和義は、小菅の東京拘置所に収監された。著名人が逮捕されると、収監される場面がニュース映像として繰り返し流される。K-1創始者である石井和義も例に漏れず…
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運がよかったボブ・サップ旋風「1カ月で10億円くらいいったんじゃないかな」
K-1どころか格闘技界、スポーツ界の枠さえ超えて、社会現象を引き起こすほどの人気者となったボブ・サップについては、この時期、K-1の新プロデューサーに就任したばかりの谷川貞治も「いろんな記憶がある」…
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伸び悩んでいたミルコ・クロコップに「もう総合しかないよ」と谷川貞治が“最後通告”
ミルコ・クロコップ。1974年、クロアチア生まれ。本名、ミルコ・フィリポビッチ。幼少期から空手やテコンドーに親しむも、ユーゴスラビアの民族紛争の激化により断念。自らも軍人となって戦うことを決意する。…
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谷川貞治を迎えK-1新体制がスタートも…「味方はゼロ。それなのに全責任は僕」
谷川貞治を新しいプロデューサーに迎えたK-1の新体制は、比較的順調な滑り出しを見せた。特にテレビ各局はマスコミ出身の新プロデューサーに軒並み好意的で、最も恐れていた「テレビ中継打ち切り」という最悪の…
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K-1には横の連帯がまるでなかった 石井和義とスタッフの個人的な関係だけで成り立っていた
新しくK-1のプロデューサーに就任した谷川貞治は、組織の中に入って、あることに驚いた。社員やスタッフの横のつながりがほとんどなかったことだ。 往々にして組織とは、トップである経営者を社員が下…
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谷川貞治がK-1新プロデューサーに就任 フジテレビの意向は無視できなかった
谷川貞治にとってフジテレビスポーツ局の清原邦夫の存在は、「とても大事な人」と言う。 1996年に専門誌の編集長を辞め、在籍するベースボール・マガジン社も退職した谷川を「格闘技評論家」の肩書で…