芸能界と格闘技界 その深淵
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「タイソンを連れて来て欲しい」と言ったら「OK、3万ドル用意しろ」と…
空前のボブ・サップ人気に明け暮れた2002年から1年も経たないうちに、創始者である石井和義の逮捕、ボブ・サップの人気急落、ミルコ・クロコップPRIDE転出、人気選手の相次ぐ欠場……と数々の災厄に見舞…
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ケイワン新社長・小野優氏の本職は税理士 公明正大をアピールするため急きょ社長に就任
DSE社長の榊原信行が「PRIDEミドル級トーナメント」に吉田秀彦の参戦を発表したのと同じ6月18日、株式会社ケイワン前社長で、前K-1プロデューサー石井和義被告の第3回公判が東京地裁で行われた。株…
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蝶野正洋現場監督は「新日本の看板を背負う以上は負けは許されない」
人気選手の相次ぐ離脱や欠場もあって、PRIDEの快進撃に押され気味となっていたK-1が、打開策として元統一世界ヘビー級王者のマイク・タイソンの招聘に乗り出したことはすでに述べた。しかし、世界的な大物…
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2015-2022「那須川天心vs武尊」の記録(下)2人の立場が入れ替わり「何だか恋愛みたいですよね」
2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、K-1はさいたまスーパーアリーナでビッグマッチを行った。埼玉県の大野知事までが「中止勧告」と称して会場を訪れる事態となったが、大会は強行。批判にさらさ…
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2015-2022「那須川天心vs武尊」の記録(中)武尊を翻意させた那須川天心の快進撃
事あるごとに対戦を熱望する那須川天心に対し「K-1のリングなら」と条件付きで応諾する武尊。歩み寄りは見られず、あっという間に数年が経った。 風向きに少し変化があったのは、筆者の見るところ、那…
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2015-2022「那須川天心vs武尊」の記録(上)始まりは2015年6月8日のラブコール
「10.8」(中日対巨人・史上初ペナントレース同率首位最終決戦)、「10.9」(東京ドームに6万7000人を動員した新日本プロレス対UWFインターナショナルの対抗戦)など、日付で語られることの多いプロ…
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興行の魅力にとり憑かれ…「PRIDEの生みの親」榊原信行の原点と原動力
榊原信行は1963年、愛知県出身。大学卒業後の87年、フジテレビの系列局である東海テレビの関連子会社、東海テレビ事業に入社。イベント制作や旅行代理業務に携わる。 榊原と格闘技の出会いは、94…
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谷川貞治は榊原信行を「唯一の誤算はめちゃくちゃ才能があったこと」と評した
2003年8月10日、さいたまスーパーアリーナで行われる「PRIDE GRANDPRIX2003開幕戦」は、桜庭和志、吉田秀彦、田村潔司、ヴァンダレイ・シウバらが出場する「ミドル級トーナメント」に加…
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K-1の後塵を拝していたPRIDEが一気に突き抜けた2003年夏の快進撃
ミルコ・クロコップがヒース・ヒーリングを一蹴した「PRIDE.26」から11日後、都内で会見が開かれた。8月10日に、さいたまスーパーアリーナで開催される「PRIDE GRANDPRIX 2003開…
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「いつも同じ質問ばかりしやがって」群がる報道陣にミルコの不満が爆発
筆者が格闘技の記者会見に顔を出すたびに不思議に思うのは「どうして、月並みな質問ばかりなのか」ということである。 昨年暮れに東京ドームホテルで行われた「武尊対那須川天心」の正式発表の会見におい…
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神通力あるTVマンの存在…魔裟斗もあそこまでスターになってないんじゃない?
思わぬ掘り出し物だったボブ・サップの大ブームもあって、例年にない活況を呈した2002年のK-1だったが、その年の暮れ、創始者である石井和義の脱税問題に見舞われ、年明けの2月に逮捕。組織は大揺れに揺れ…
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佐竹雅昭は初期K-1最大の功労者「日本人対外国人」定着なければPRIDEは成功せず
1993年にK-1がスタートしたとき、中心選手だったのは日本人エースの佐竹雅昭である。彼がいなければ間違いなくK-1は旗揚げしていない。それは断言していい。 1965年、大阪出身の佐竹は高校…
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石井和義の保釈に谷川貞治は迎えに行かず…「館長の運転手だけ行きました」
2003年5月22日、葛飾区小菅にある東京拘置所の正面は、朝から報道陣でごった返していた。この日の午前中に石井和義の保釈が決定したからだ。一報が流れたのは正午前だったが、前日には「保釈金は4000万…
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谷川貞治は感づいた「潰そうとしていたのはPRIDEじゃなくてK-1の方だった」と
2003年5月20日の夜のことである。K-1プロデューサーである谷川貞治の元に「ミルコ・クロコップがPRIDEのリングに上がる。明日発表」という情報が入ってきた。谷川は驚いた。なぜなら、その前夜もD…
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極秘裏に決まったミルコ・クロコップ「PRIDE転出」の背景
初の会談から数日後、榊原信行と川又誠矢は、改めて覚書を交わすことになった。主な項目は次の5点である。 ① 川又誠矢は8月16日に計画していた格闘技イベント「DNA」を中止する。 ② その…
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フジテレビも大晦日格闘技に色気「ミルコ・クロコップをPRIDEのリングに」
川又誠矢は榊原信行に電話を入れた19年前の夜のことを、次のように記憶している。 「確か夜の9時ごろだったと思う。こっちから電話を入れて『フジテレビの清原から連絡を入れるように頼まれたんだけど』…
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石井館長は「自分以外の誰かが何かやる」のが生理的にダメ
ラスベガスから帰国した川又誠矢は、まず谷川貞治と会談を持った。棚上げとなっていた真夏のイベント「DNA」におけるK-1の協力について確認するためである。 しかし、ここでも谷川は「館長が出所す…
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「バンナが出場しないと数字が取れない」フジテレビは強硬に出場を要求した
フジテレビの格闘技番組を統括していた清原邦夫は、筆者が取材をする限りにおいてではあるが、比較的高評価で語られる人物である。 「90年代以降の格闘技ブームの立役者の一人」(谷川貞治) 「清…
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「あのとき清原さんがK-1の中継番組を立ち上げなかったら…」
かつてフジテレビの格闘技番組全般を統括していた清原邦夫は、1990年代以降の格闘技ブームを語る上で欠かせない人物である。 戦前の司法官僚で、60年代に検事総長を務めた清原邦一を祖父に持ち、産…
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「東京に戻ったらバラさんと会ってほしい」フジテレビの責任者はこう切り出した
ネバダ砂漠の中心に存在するラスベガスは、人類がこの世の娯楽と欲望の粋を集めて創り上げた、世界最大の歓楽都市である。石井和義が姿を見せない初めての大会となった「第7回K-1ラスベガス大会」だが、さした…